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学習院大学文学演習 第9回

本日6月22日は、「お岩木様一代記」を、イタコの声の響きを追いかけつつ、丹念に読む。です。

 

 

題して、

「物語は、小さき神々によって、乗っ取られ、書き換えられるために、そこにある」。

 

 

<近代という仕組みは、きわめて高機能の忘却装置なのだということ>

 

まずは、これが、「お岩木様一代記」を実際に声に出して読む聴く前に、考えておきたいことです。

 

近代国民国家は「想像の共同体」(byベネディクト・アンダーソン)と言われ、さらに「国民の本質」とは、「すべての国民が多くの事を共有しており、そしてまた、多くの事をおたがいにすっかり忘れ去ってしまっているというところにある。フランス市民はすべてサン・バルテルミー(の虐殺)、13世紀の南フランスの(異端の)虐殺を忘れ去ってしまわねばならない」(『想像の共同体』P326)と、ベネディクト・アンダーソンはエルネスト・ルナンの言葉を引きつつ語ります。、

 

つまり、記憶の共有とは同時に忘却の共有であり、何が忘却されていったのかということこそを問わねばならない。フランス市民が共有する忘却が、「異端」の虐殺であるように。

 

(ここ日本では何が忘却されてきた?)

 

「忘却の共同体」としての近代。

このことは「声」と「語り」に耳を澄ませようとしている今、とても重要な大前提になるでしょう。

 

そもそも、人間という存在自体が、忘れながら生を紡いでゆく存在です。

記憶には限界がある、そして何を記憶してゆくのかは、どう生きるのかということに深く関わっている。

 

そして、近代以前、「記憶する」とは「命をつないでいく」ということと同義である時代を人はずいぶんと長い間生きてきたのではないか。

 

この「記憶する」=「命をつないでいく」の結び目のところに、名もなき民の「声」があり、「語り」があったのであろうと、私は考えているのです。

 

近代以前も近代以降の今も、

人間が日常の中で具体的に体験して、物事を考え、記憶にとどめ、記憶を伝え、個々の生が断片化せずに生きていくことのできる範囲というのは、そう変わりはないでしょう。

 

それがどのくらいの範囲かといえば、たとえば、近代以前ならば、風土の神、土地の神、田の神、山の神、水の神等々、小さき神々を祀り、その神々の神威が及ぶ範囲(つまり互いの顔が分かる、互いの暮らしが分かる村共同体)くらいだったのではないか。

 

 

そこで、いまいちど、小さき神々について思いをめぐらしてみる。

 

思うに、神というのは、一種の記憶装置ですね。

土地土地の小さな祠の謂れというものは、神話化、もしくは伝説化されたその土地に生きた人びとの記憶ですね。

人間というのは、観念では生きられないけれども、だからこそ、みずからの記憶を「小さき神々」のような、それぞれの土地の風土に根差した具体的な「物語」に委ねる、ということを長い歴史の時間、やってきたように思うのです。

 

この小さき神々を一網打尽に殺した[虐殺装置]、そして[忘却装置]が、近代という装置なのだろうと、近頃ますますつくづく思います。

 ( cf)『神々の明治維新』安丸良夫 岩波新書 )

 

(何を共に忘却するのか。何を共に記憶するのか。その選択の基準が劇的に変わったのが、近代なのだと言ってもよい。つなぐべきは「個の命」から、「国家の命脈」へ。その「国家」の内実を問うことがなければ、近代は命の「虐殺装置」そのものにもなりえますね)。

 

「国家」とか「国家の歴史」とか「国家の神々」とかいう観念はあまりに大きすぎて、それを日々の暮らしの中で血肉としていくことはひとりの人間にとって困難であるけれど、

一方で、記憶のよりしろ/物語のよりしろ(=小さき神々)を失った人間にとって、つまり記憶喪失のよるべない人間にとって、よるべない心と肉体を丸呑みしてくれる大きな観念ほどありがたいものもないのかもしれません。

 

(これは、別の表現で言うならば、人間が大きな観念を自身の血肉とするのではなく、大きな観念を弄ぶモノどもによって人間がその血肉とされる事態は容易に起きるのだということです)

 

そもそも、人間というのは、思考することにおいて怠惰です。

日々の生活というものは、本来的に習慣づけによる条件反射で成り立っているものでもあります。

ゆえに、手取り足取り条件付けをしてくれる装置は、人間にとって麻薬のように大変中毒しやすいものでもありましょう。

 

思うに、いったい、いまこの近代社会に生きている誰が、たとえば国家のような巨大観念の日々の動きを具体的に把握し、大きな歴史の流れを認識し、みずからの行く末を確かに知ることができるのでしょうか? 誰がそれを意識しつつ暮している?

 

ほぼ誰もわかってはいないでしょうし、ほとんど誰も意識などしていないでしょう。

それでも日常は進んでゆく、過去と現在と未来に対して盲目の状態のまま、自分が盲目であることにも気付かずに、日常は進んでゆく。

 

ほとんどの人間は大きな観念を捕まえて使いこなすよりも先に、観念に捕まって使いこなされてゆく、喰われてゆく。

 

とても恐ろしい。

 

この恐ろしさを越えて、生きてゆく「命」であるために、つながってゆく「命」であるために、何をなすべきか。

 

自分の身の丈で、暮らしのなかで、日常の流れのなかで、記憶をつなぎ、自分の言葉で今を語り、「命」のゆくすえを眺めやること、

そのための「場」をみずからの日常の中によみがえらせること、

大きな神(=物語)に放逐された小さな神々(=物語)を、われわれのもとに、いまふたたび呼び寄せること、

 

切実に思うのはこういうこと、だけど、そう簡単なことではない。

 

その昔、虐げられたモノたち、踏みつけられたモノたちが(それは人間とは限らない。ケモノも鳥も魚も虫も)、苦難を乗り越えて、小さき神になって、まつろわぬ記憶を神の物語として語りだしたことを私は思い起こします。

 

その昔、「神道集」の神々の物語やら説経の物語やら祭文やらを運んだ旅する芸能者/宗教者たちがいて、その足と声と語りで織り上げられたこの世の絵図(=世界観)があり、語りつがれた「命」の記憶があったことを私は思い起こします。

 

小さき神々は、旅する「声/語り」が物語を語り出す「場」に降りて来て、いまここで語られている物語を自分自身の物語に書き換えてゆく、物語を乗っ取ってゆく。

 

たとえば、「山椒太夫」のような物語が、それぞれの土地で、それぞれの風土から生え出るような形で、それぞれの小さき神々の物語に再構成されてゆく、乗っ取られてゆく、というようなことが、とてもありふれたこととして長い年月の間、繰り広げられてきました。

 

それは、民草が主となって繰り広げられてきた、血も肉も声も通う「歴史する」風景である、といってもよいのではないか。

 

(この風景は、保苅実が『ラディカル・オーラル・ヒストリー』で語ったオーストラリアの先住民の歴史実践の風景へとつながってゆきます。それは、西洋近代の歴史学の中には収まりようのない「民の歴史実践」。西洋近代を普遍とするならば、「歴史」ではありえない「歴史」です。ちなみに、この『ラディカル・オーラル・ヒストリー』は来週のテーマです。)

 

もうここまできたら、

「小さな神々とは、われわれの命のことなのである」、と言い切ってもいいのではないか。

 

と、そんなことを思っていた数日前、在日朝鮮人の作家金石範のエッセイの中で、そんな思いとは真逆のナチスの忠良なる官僚アイヒマンの言葉に再会したのでした。

 

「百人の死は悲劇だが、百万人の死は統計にすぎない」

 

そうだ、この言葉のことをすっかり忘れていました。

確かにそうでした、

近代とは統計の時代、数字の時代でしたね。

国家のために命を落とした数百万人の魂も、靖国に投げこめば、分離不能かつ抽象的な一つの護国の神になるという、溶鉱炉のような凄まじい数学の時代でもあるのでした。

 

アイヒマンの言葉は、同時に、文化人類学者川田順三によって記録された、人間存在を抽象化しない人々のことを想い起こさせました。

(彼らは村に何人の住民がいるか? という問いには答えないが、村民ひとりひとりについてきわめて具体的に詳細に語れる)

 

西洋近代の思考によって、「野蛮」であり「未開」であると分類された人々の、具体でしかありえない「人間/命」への向き合い方、それを私は大切な「命の記憶の作法」として、受け取りなおしたい。 

 

(cf  川田順造『声」に記された数的抽象を知らない部族のエピソード)

 

統計のなかから、「命」をすくいだす。

抽象化された「命」に息を吹き込み、血と肉をよみがえらせる。

そのような「命」が生きるべき、つながるべき、きたるべき世界を思い描く。

その世界を語る言葉を紡ぎ出す。

 

それは、「旅する声/語り」と「小さき神々/記憶」を失って久しい近代世界に生きるわれらにとって、「文学」が必要である何よりの根拠でありましょう。

 

それはまた、近代の果ての「いまここ」で、私たちが、いまいちど、忘却へと追いやられた「声」を聴き、「語り」に耳を澄ます、なによりの根拠なのです。

 

いまいちど、声を大にして、言います。

 

この世の物語は、名もなき民の「声」によって、「命」の記憶をつないでゆくために、書き換えられ、乗っ取られるためにある。 

 

 

「お岩木様一代記」を読む聴く語るの前説のつもりが、語りすぎました。

 

さて、いよいよ本日の本題です。

 

「お岩木様」に接近するための案内情報は下記のとおり。

  (参考文献『お岩木様一代記』坂口昌明編 津軽書房)

 

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「お岩木様一代記」は、

昭和6年(1931) 国学院大学高等師範部三年の竹内長雄が、青森県南津軽郡女鹿沢村下十川字川倉コに住むイダコ桜庭スエを訪ね、採録したもの。 

 

 

『お岩木様一代記』についての民俗学者柳田國男の感想、

これが面白い。

 

●語り手の文作の多いこと

●是非とも守るべき伝承の少なかったこと

●之に加ふるに忘却と誤解あり

●聴手の曲従もしくは容認

●新しい文化の意識せざる影響

●ハンカチとカバンは殊に驚く

●現代文学の印象がはたらいて居る

●標準語を雅語と信ずる一般の傾向について居る

●古い章句の幽かな記憶がまじって居る

●注意すべきことは三荘太夫は後から付けたして居ること

 

 

柳田は口承芸能としては高い評価を与えていないようであるが、ここに列挙された事柄は、図らずも、いまを生きている語り/声の特徴をそのまま述べたものとも言える。

語りは生き物であるゆえ、常に今の空気を吸っている、語るごとに生まれ変わる。

 

 

宗教民俗学者五来重によれば、

 

●『お岩木様一代記』は岩木祭文ともいえる岩木修験の説経祭文が、津軽イタコにかたりつがれたものである。

 

●説経祭文の片鱗は、その語り出しに現れる。

「国のお岩木様は加賀の国に生れだる私の身の上。私の母親は加賀の国のおさだ」。

(これは、「国を申さば丹後の国、かなやき地蔵の御本地を」(山椒太夫)に通ずる)

 

●一人称で語るところが古い形である。

(イタコの体に神が降りきて、自身の来歴を語る。語っているのは「神」なのである)

 

●三つもの山の神の本地(あんじゅが姫・つそう丸・おふじ)を出すのは、

それぞれに共通した説経祭文があったのを、一つの物語にまとめたことを暗示する。

 

 

 

『お岩木様一代記』(坂口昌明編 津軽書房)における編者坂口昌明の見解、

これもまたなかなか示唆に富みます。

  

●地域の鎮守神の崇高さを称える『神道集』の感覚は、現代の私たちが『お岩木様一代記』を理解するのに大切な、鍵のひとつと思われる。

 

(『神道集』は)はじめその考え方が比叡山系の寺院周辺から流れ出した段階から、山々の霊験にまつわる縁起にまで成長するには、物語僧・琵琶法師・比丘尼・盲僧・聖といった、耳の文芸にたずさわる旅の人々が参加したであろうといわれている)

 

 

●世界が仏法に包まれている証しとして、里をめぐる山々に、いつかは人が神として迎えられる。苦しみ、悲しみが、放浪のなかでだんだん浄められていく。そのような神聖化をとおして、はじめて解決は訪れるという考え方。責めさいなむ悪人は悪人で蛇や岩に変身したり、つまりは妨げる神にまつられる。この考え方は、どんな山間の僻地をも中心に変える精神的な親和力を生んだ。

 

 

「この考え方は、どんな山間の僻地をも中心に変える」。

 

これはすごく大切なところ。

近代以前、「声」と「語り」と「世界」の関わりは、これなしには語りえない。

だからこそ、近代化の過程で権力を持つ者は、声や語りに縛りをかけてきたのであり、だからこそ、いま、「声」と「語り」を近代の彼方の世界に向けて呼び出すことの意味がある。

 

 

 

 

 

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さて、

 

「語り物」としては、

修験ネットワーク/説経・祭文・物語(山椒太夫のような)ネットワークで織りあげられた一枚の布のような世界のなかから紡ぎだされてくる「お岩木様一代記」という位置づけがまずありました。

 

そこで、問い二つ。

 

◆岩木修験が書いたのであろう「岩木山祭文」を、盲目の女であるイタコはどのように語りかえたのだろうか?  

 

◆そこにはイタコのどのような境涯が反映されているだろうか?

 (女/盲目/芸能者/宗教者 幾重にも負の刻印を背負う存在としてのイタコ)

 

 

※世に流布した「山椒太夫」の中でも、「うわたけ/宇和竹」が大蛇に変じて直江の浦の人買い山岡太夫に復讐するという、他に見られない物語を同じように語りながら、盲目の女性芸能者である<瞽女>が語る「山椒太夫 舟別れの段」と、男性の<祭文語り>が語る説経祭文「山椒太夫 宇和竹恨之段」の語り口の違いは、大いに参考になるかもしれません。

 

 

※これは、先の話になりますが、私たちは、伊藤比呂美の現代詩「わたしはあんじゅひめ子である」から、「お岩木様一代記」を下敷きにしつつ、「お岩木様一代記」ではまだまだナニモノカによって封じられていた「女」の声をより強烈に聴くことになるでしょう。

 

「お岩木様一代記」には登場しない「姥」までもが、「わたしはあんじゅひめ子である」にはすさまじく毒を吐くキャラとして現われます。

(実際、岩木山には、あんじゅが姫の「姥」が女人禁制の境界線上で石に変じたという姥石があります)

 

自分ならば、このイタコの語りのどこに反応して、もっと毒を持って語りかえてやろうと思うのか、そんなことも考えつつ、「お岩木様一代記」を聴くのも一興でしょう。

 

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本日の語りの実演は、井上秀美さん、

お手本となったのは、八戸出身の作家木村友祐さん朗読の「お岩木様一代記」です。

 

いきなり、本日の発見!

 

井上イダコ(ややいかがわしい)が語りはじめると、がらりと場の空気が変わりました。

お岩木様(あんじゅが姫)が降臨したのではないか!? というような風情です。

 

声の力、場の力。

そして、テクストを読むばかりでは目を素通りして気づかず、声を聴いてハッとしたことが一つ。

なぜ、あんじゅが姫は、自分を3年間生き埋めにしたうえに海に流した父親を探して、(しかも母の反対まで押し切って)、7年も野山を彷徨ったのか? ということの理由です。

神になるための試練、と言えなくもないですが、それにしても、なぜ自分を虐げた父を探す?

 

興味深いのは、父を探すあんじゅが姫に、お不動さんが「額の真ん中に大きな痣がある男がおまえの父親だ」と、教えるのですね。

 

額に痣がある男?

 

痣?

 

これ、イダコが読むなら、あざじゃない、

 

あんじゃ です。

 

長きにわたる流浪の旅のはじめに、母おさだと「庵主/坊主/あんじゅ」の不貞の娘という意味で、父に「あんじゅが姫」と命名された幼女は、流浪の旅の末に「痣/あんじゃ」の娘、となるわけです。

 

もういちど、

えっ、額の真ん中に痣/あんじゃがある?

 

はっ、これは、もしや、大日如来ではないか?

 

長い長い流浪の旅の果てにお岩木様の神になる「あんじゅが姫」は、実は「あんじゃが姫」、「大日如来の娘」だったのではないか!?

 

そういえば、苦難に陥るたびに、あんじゅが姫は「あぶらおんけ(あびらうんけん)」と大日如来の真言を唱えて救われていたのでした。

 

 

なるほど、あんじゅが姫の旅は、「大日如来」へと向かってゆく旅だったのだな。

ストンと落ちてきた。

 

これが正しいかどうかを問うのは野暮です。

 

「語り」は語る者のモノ、聞く者のモノでありますから。

 

(もうひとつ、思い出したこと。あんじゃは「行者」のことでもあります。「あんじゃ/痣/しるし」は、修験の「行者/あんじゃ」を思わせもしますね。いずれにしても、修験のカミといえば、額にそのしるしのある大日如来。声は二重三重にあんじゅが姫を聖なるものへと導いてゆくかのようです)

 

以下余談

イタコの「痣/あんじゃ」で、ふっと思い出したのが、石垣島の三線弾きのナミイおばあのことでした。

 

このナミイおばあが、15歳頃のこと、頭を強く打って臨死体験をしたという話を本人から聞いたことがあります。

 

そのとき、長い階段を上っていった少女ナミイは、階段の一番上で、行く手をさえぎるように立つ神さまに出会ったというのですが、その神さまはとても大きな火箸を杖のようについて立っていたと、ナミイは私に語ったのでした。

 

え、火箸ーーー!?

 

あーーー、これですな、火箸。

 

目に一丁字ないアキメクラと自分のことを言っていたナミイおばあの、すばらしく自由な言葉遣い。

 

ナミイおばあはこの世のことはすべて耳で聞き覚えて生きてきた。それは盲目のイタコと同じです。

 

私は、イタコの「(額の真ん中の)痣/あんじゃ/たぶん大日如来」に、ナミイおばあの「火箸/実は錫杖」を思い出し、ああ、そうだよ、声の世界ってそうなんだよ、自由なんだよ、としみじみ思ったのでした。

 

もう一つ余談

 

今回「お岩木様一代記」を口演した井上イダコは遠州の生まれです。聞けば、語尾に「~だら」とつけたりするのが特徴らしい。こういう分かりやすい特徴とは別に、標準語慣れした耳には聴きとれない微妙な音や、標準語とは異なる抑揚がある。

 

井上イダコはかつてアナウンサーでありました。標準語スピーカーの象徴みたいな存在ですね。在籍していたのは静岡の放送局です。なのに、遠州訛りの気配が放送用の標準語に滲むのを厳禁されていた。そのときの違和感を、井上イダコは、今回南部訛りのイダコを演じて、「ああ、あれは声を封じられた怒りだったのだ」とはじめて気づいたのだと言いました。

 

それは、「声を封じられるとは、その声を発する生きている肉体/命もまた封じられている」ということに気づいた、ということであります。

 

遠州弁を身に染み込ませ、標準語でそれを封じた者が、イダコを演じるために南部弁を身に染み込ませようとしたとき、どんなことが井上イダコに起きていたのか?

 

もちろん最初は南部弁ネイティブが読む「お岩木様一代記」の真似から入ります。しかし、いくら真似しようとしても真似できない音があります。微妙な、曖昧な、アでもオでもウでもエでもイでもないような複母音。周波数が違ってしかとは聴きとれないような語頭や語尾やひとつの単語のなかに紛れ込むくぐもった「ン」。とか、いろいろ。

 

それはただ真似しようったて、真似できない。それを発音する筋肉を持っていないからです。南部弁で語るには、南部弁を語れる筋肉を持つ体に肉体改造しなければいけない。

 

声は筋肉です。肉と血と骨のたまものです。肉と血と骨は生まれ育った風土のたまものです。

 

井上イダコは、そのことに気づいた。そして、浴びるように南部弁を聴いては必要な筋肉の動きを探り、筋トレをした。そうして、南部弁を我が身に降ろしていった。

そのとき、標準語に縛られていた井上イダコの肉体/命は、南部弁に向かって解き放たれて行ったかのようでした。それは同時にかつてみずから封じようとした遠州弁に向かっても、いまいちど開いていくことでした。

 

そのとき、井上イダコは、遠州弁の気配すら禁じられていたアナウンサー時代に自分が抱いていた感情が「怒り」であったことに、はじめて気づいた。ということだったのです。

 

ああ、標準語というのは、まさしく、声の世界における、近代の暴力性のあらわれのひとつなのだなぁ。と私はつくづく思ったのでした。

 

この声の暴力が植民地に向けられたときの無惨を、私たちは知っているはずです。

朝鮮・台湾・南洋・満州はもちろん、沖縄でも東北でも。

 

そして、近代日本はその暴力性を忘れよう忘れようという近代精神の運動の中にある「忘却の共同体」であることも。

 

[さて、以下は、「お岩木様一代記」の大まかな物語の流れ。参考までに]

 

1.生埋めにされたあんじゅが姫

 

●母はおさだ、加賀の生まれ。

(加賀からの移民という、当時の人の流れを想起させる)

 

●兄はつそう丸

(説経「山椒太夫」から来た名前だろう。在地の神が物語を乗っ取る)

 

●姉はおふじ

 

●末っ子があんじゅが姫。

(安寿姫でもあり、庵主が姫でもある。声のひびきが幾重もの意味を呼び出す。

 庵主が姫は、母さだと庵主(僧)の不貞を疑われた子である)

 

「お岩木様」によって乗っ取られた「山椒太夫」は、イタコの語りによって、

生れるやいなや3年間、父によって生き埋めにされた「あんじゅが姫」が

岩木山の神になるまでの「険しい旅の物語」へと転生する。

 

 あんじゅがひめ/庵主が姫。 

 もっとも貶められた名前は、もっとも聖なる名前「お岩木様の神あんじゅ」に通ず。

 

 「三年間絹の下着に包まれて」  

  これは、三年間「胞衣」に包まれて、と言い換えようか。

 

不貞を疑われ、あんじゅが姫を生き埋めにされた母おさだは、目を泣きつぶす、

離縁される。

おさだの境涯は、盲目のイタコの境涯と響き合う。

 

 

2.母おさだの放浪

 

●おさだを憐れんだ村の長者が、からの国の加藤左衛門を紹介してくれる。

(からとは唐なのか? 加賀なのか?)

 

(加藤左衛門とは、五大説経の一つ「刈萱」の主人公の父の名前ではないか。

 近代以前、誰もが知っていた説経系の物語がここでも取り込まれているではないか)

 

●おさだは「竹のこじりに身をすがして」歩き出す。

 (竹の杖は盲目のおさだの闇の杖。遊行のしるし。

  同時に、能でも説経でも竹の枝は狂女のしるし。)

 

●加藤左衛門に雇われたおさだは、粟畑で鳥追いに。

 「つそう丸ぁ恋しいじゃほいほい、埋げられたるあんじゅが姫ぁ恋しいじゃほいほい」

 

 ●「御免なさいど腰かげで/奥から加藤左衛門が出で来て/若い姐さんどぢがらおいで」

  (このやりとり、イタコの生身の声が聞こえるような語りの妙味)

 

 

3.姫復活と丹後流し

 

「死んだものだべが/生きだものだべか/掘りあげで見れば

/私の身の上は/死んだわけでもなし/成長(おが)つて笑ってる身体である」

 

なによりすさまじいのは、ここの部分。

土の中で育って、笑っている体。

(7月20日に取り上げる現代詩「わたしはあんじゅひめこである」の伊藤比呂美が強く反応したのもここ)

 

この体が、たった三歳の体が、おそれおののいた父に板船に乗せられて、丹後へと運ばれる。山椒太夫のもとにたどりつく。

 

その旅の物語を、ここにいたってイタコは、いきなりあんじゅがひめの声で語りだす。

神の声で語りだす。

 

cf) 「童児神はたいてい一人ぼっちの棄て子である」(神話学者カール・ケレーニイ)

 

「あぶらおんけと三遍うだがげだ」(あびらうんけんと三遍 歌を掛けた)

 

(あんじゅが姫は苦境に陥るたびに真言を唱える。正しくは「あびらうんけん」。

大日如来の真言。地・水・火・風・空を表す。最強のおまじない。修験的世界の響き)

 

 

 

3.さんそう太夫登場 ~ あんじゅが姫の試練~

 

「太鼓三味線の音がする/あれの音ではないかと/急いで行て見れば/丹後の国の奥の山で/さんそう太夫が先ぎだちして/天の明神様弟のふりやいが悪い為に/石のから戸に身体をおかくれ致した時分に/さんそう太夫が太鼓三味線で/つゆのお神楽あげでら音でありました」

 

※さんそう太夫とのこの出会い方は実に面白い。神楽をあげるさんそう太夫。しかも三味線。ここには座頭の三味線の響きが入り込んでいるのだろうか。

あるいは、坂口昌明が言うように、大津絵の「三味線弾く鬼」のイメージがまぎれこんでいるのか。

 

 

 

●あんじゅが姫は、このさんそう太夫に雇われて、無理難題を吹きかけられて、 

「出来ないとすれば/蒲をたいで逆さねつるして/火あぶりに責められる」

 

注!! 語り手のあんじゅが姫はまだ3歳。土から出てきたばかり、実質は新生児に等しい。

  

●試練の数々は以下の通り

1.粟も米も搗けないと、火あぶりで責められる。

2.両手の指ぜんぶから血を流すほどに急いで空豆の皮を剥いてしまえと責められる。

3.向こうの山から石と土を背負いだして、七日のうちに七つの竈を仕上げろと責められる。

4.目の粗い籠で水を汲めと責められる。

5.爪で葭を十本切ってこいと責められる。

6.七つの釜火を焚いて、裸で裸足で渡れと責められる。

 

※ これは、釜茹での準備をあんじゅが姫本人にさせるという、「注文の多い料理店」状態?  はたまた「ヘンゼルとグレーテル」状態?

 

 

●「人間だぢや」 

※  試練に耐えるあんじゅが姫/イタコは、早くも既に神の声で人間たちに呼びかけはじめる。

 

 

●三才のあんじゅがひめの嘆き

「どうしてわが姿で/石負り土負り致したら/死んでしまるべゃね」

「これに水がはるものだべがと思れば/涙が湧いで来る」

「世間の人は/百になても死にたぐないこの身体/母とあへて死んだらのごろぐないが」

 

●あんじゅがひめを救うモノたち

 

1.三途の川の橋のところで南無大姉様(神)に歌掛け、

 (「あぶらおんけと三遍もうだをかげたるなれば」)、油売りがやってくる!

 

 「この油紙を張って水を汲め」。

 あぶらおんけのおまじまいが、あぶらうりを呼び出す、という声の力!

 

2.「咽せ咽せ行て見れば」 墨染のめの和尚様が刃物で葭を切ってくれる。

 

 

3.「そごさ燕が飛んで来て/さんそう大夫が居ないから/早く逃ろーと囀る音」

  (神の世界に人もケモノも境はない、命は命の声を聴く)

 

4.丹後の国のあなお寺の墨染の和尚。

まずは、

「手前とめるもよいけれども/今にさんそう大夫が来れば/われまで責められる」

そして、思い直して、

「早く御飯たべで/がばんの中に入れで/屋根のぐしにさげで呉れるから」

 

※この和尚さまの対応は実に人間的。

※「がばん/かばん」と、時空を超えて今の言葉が、語りに入り込む、

  これは、いかにも「語り」の世界。 語り手自身が今を生きている証。

 

5.「寺の釈迦如来様に/うだをかげだるなれば/奥から如来様出て来て」

  言うこときかないさんそう大夫に、たらいの水の水鏡を覗き込ませて、

  鬼の本性に気づかせる。

 

※さんそう太夫が、鬼であることがばれて、「さんげさんげ/懺悔懺悔」と逃げ出していくのは、本名を知られた「大工と鬼六」の鬼六のようでもある。

※山椒太夫とあんじゅが姫の出会いの場面で、神楽が太鼓・三味線だったことを想起せよ。

 

 

 

4.あんじゅが姫は母を訪ねて旅に出る。

 

 

「こんなに困難盡し終へでも/母ど致するものもなし/年は7つの年に/頃は四月の春の頃」

 

3つの年から、7つまで、あんじゅが姫は、「津軽三十三観音、六十余州/日本全国、西国三十三観音みなかげで」旅をする。

 

この放浪は、まるでスサノオの放浪のようでもある。

放浪する神は、疫病を祓い、魔を祓う、荒ぶる神でもある。

思えば、「お岩木様/あんじゅが姫」は、嵐を起こして丹後という「魔」を祓うような神でもある。

 

 

●またもや「あぶらおんけん」の御利益で、橋をわたって、

「御免なさいと行てみれば/若い姐さん一人の身の上」

 

●これが母のおさだで、おさだは涙で身の上を語り、

「そごで私が/ごめんなさい/母上様ですかと/われぁ この世のあんじゅが姫であります」

 

●母上おどろく、あんじゅ姫のしるしを確かめようとする、でも目が見えない、

「そごで母の右の眼を撫でれば/眼はばつきと開いで

/母のおさだも/此処に神がたつたものだべが/世はさがさまねなたものだべが」

 

ここにあんじゅが姫の<神の業>がはじめて示される。

目が開くこと、これは盲目の語り手たちの切なる願いでもある。

 

 

「そごで母のおさださん/あんじゅが姫や あんじゅが姫や/わが身体から/神は生れたものだべか」

 

このおさだの叫びは、「お岩木様一代記」のクライマックスの一つ。

ひとりの人間の女が、それも盲いて、棄てられ、鳥追いをしている、もっとも賤しい者のひとりである女が、神の母なのである。おさだはまるで聖母マリアではないか

 

 

 

4.あんじゅが姫は父を探す旅に出る。

 

●あんじゅが姫が無情であった父を探しにゆくと言うと、母は反対する。

 寂しがる、悲しむ。

 

「小枝が裂けるつぁ この事か/血の涙ぢぁ この事か」

 

「そごでもないよ母上様/私は右の小指一本/切って置いて行くから/われぁ来るまで何年でも/これを舐めれば/腹もしきれないし/雀ば追なくても/待ってください」

 

※これは恐るべき指切りげんまん。母とあんじゅが姫の約束。

 

 

●墨染の衣に身を包み、竹の杖をつき、何年旅をしても父には会えない。

 

※これは、まさに、遊行の者の姿である

 

放浪7年、野に山に野宿を重ねて難儀を尽くして、十四の歳に、三不動様のお宮にたどりつく。

露を舐めて、(断食して)、21日の願掛けの末に、烏帽子・直垂の神が夢のお告げ。

 

※お不動様と言えば修験の神。 あんじゅが姫もお不動様の託宣を受ける。

 

五来重「修験道史研究と修験道史料」によれば、

「不動明王が山伏の身にのりうつって、予言・託宣、治療などの超人的はたらきをする。

これが修験道の即身成仏である」。

 

「ふばり山」は、「ひばり山」。 父に殺されかけた「中将姫」ゆかりの地。   

  cf)折口信夫「死者の書」

 

※「お岩木様一代記」には、なにげに「山椒太夫」、「刈萱」、「中将姫」というように、説経的世界観の物語が引用/織り込まれている。

 

●お不動様の夢のお告げを得て、ついに父と会い、母と会い、姉と会い、兄と会い、

 あんじゅが姫は岩木山の神に、

 姉のおふじは小栗山の神に、兄のつそう丸は駿河の富士山の神に。

 

「神ねなるたて/これ位も苦しみを受けないば/神ねなるごと出来ないし

/人間様だぢも/神信仰よぐ用ひで呉れるべし」