なもあみだんぶーさんせうだゆう

        (河出書房「文藝」2015年冬号掲載)

 

 


道端にぽつんと脱ぎ捨てられている靴ほど胸騒ぎをさそうものはない。揃えて置かれていたならなお怖い。いったい靴の主はどこに消えたのか。主をなくしたうつろな靴はこれからどこにどう彷徨いだすつもりなのか。こんな靴に出会ってしまった私はどうしたらいいのか。誰か教えてはくれないのか。導きの声を探す道は迷いの道。ただ一つ、美しい歌声には気をつけよ、と、これは古の旅人の教え。

 

 

たとえば、ちょうど百年前の一九一五年、森鴎外が伝える一足の藁の履をめぐるこんなお話、ところは丹後由良、ときおり飢えて行き倒れたみすぼらしい旅の死人がでるほかは滅多に人も通わぬ、由良岳の鬱蒼とした峠の、足ももつれる細く険しい藪の道を降りきったところの澱んだ沼の端に、小さい履が一足、これみよがしに脱ぎ捨てられていた。それは弟の厨子王ともども人買いにかどわかされて、丹後の由良湊の千軒長者、山椒太夫に売り飛ばされて、奴隷にされて、潮汲め、柴を刈れ、焼き鏝をあててやろうか、女のおまえがこの世の何の役に立つというのか、でくのぼうでも厨子王は男、生きて残るなら厨子王だろう、アウシュビッツに着いた途端に息子か娘かどちらか選べと迫られたソフィーだって、直感的に息子を選んだだろう、娘はガス室行きだったろう、そうして娘を人身御供にソフィーの物語は苦い命を得ただろう、おまえの命にしたって価値があるとすれば、物語に囚われて永遠の生殺しにされてこその安寿ではないか、そうやってきりきり苛めぬかれた安寿の履であった。履は、これみよがしに、意図を汲めとばかりに脱ぎ捨ててあるのである。人々は、深く考えたなら答えの出ないことについては、阿吽の呼吸で目をつぶるものなのである。それを予定調和と呼ぶのである。けなげな安寿は逃げた厨子王の無事と立身出世を願って、履を脱いで、あの沼に入水した、世の人がそう思ってくれなければ、物語の語り手は大いに困る。かわいそうに、身の置き所のない安寿はただただ厨子王を逃すために、ほんの十五で覚悟の人身御供となった、南無阿弥陀仏、人々はいたいけな安寿を祀って拝んで供養して、そうして憐れみのうちに物語が閉じられてゆくならば、物語の聞き手も心地よい、流す涙もうるわしい、そうさ、物語のあちらとこちらはつながってはいないはずだからねぇ。現実を忘れて夢のように物語はすすむ。厨子王は都へゆく。運命に運ばれて担がれてとどこおりなく出世する。一視同仁、奴隷解放、山椒太夫もゆるしてやる。厨子王はまことにありがたい王である、山椒太夫は改心する。そうだ山椒太夫は改心のあかしに山椒大夫と改名したのだった、たった一字の違いでも人間のイメージというのはずいぶん変わるね。太い奴から、大きなお方。さあ、新しい世がやってくる、厨子王も山椒大夫も男どもはみんなザンギリ頭で、文明開化の音を響かせて、近代的な「山椒大夫」を邪気もなく演じる。四民平等、自由、博愛、実にいいお話じゃないか。落としどころを見つけて、みんな幸せじゃないか。綻びもなく物語はすすむ。厨子王はおのれが幸せならば、誰もが幸せだと信じて、ますます幸せになる。これみよがしの安寿の履は、気がつけば、消えてなくなっている。履が消えたことなど、誰も気がついていない。

 

(誰だ? あの靴にこっそりと足を差し入れて、物語の外へと忍び足でさまよいでた不埒なおまえは、誰?)

 

そう、あれからもう百年になる。かもめが飛んでいる。港を出ようとする船に群れなしてまとわりついて飛んでいる。船の名はおけさ丸。それにしても横着なかもめたちだ、あの羽が烏のように不吉に黒かったなら、誰も餌などやろうとはしなかっただろうに、いたずらに白いから、むやみに餌付けされて、可愛がられて、人をみくびる。船は佐渡へと向かう。エコエコアザラクのリズムで、「サドニ、オマエヲ、ツレテイク」と言ったら男は泣いてみせた。それでも素直についてきた。男はいま一等船室のジュータン席で無心にピーナッツをかじり、Facebookを覗いている。一等船室、とはいっても、ジュータン敷きの船室に小ぶりの薄手のマットレスが20センチ間隔くらいにお行儀よく並べられていて、マットレスと毛布と枕がある分、だだっ広い二等船室の固い床の雑魚寝状態よりはまし、中流の上、といったところの部屋だ。男の二つ先のマットレスには、仰向けになってipadを両手で捧げ持つようにして持ってずっと覗き込んでいるほどほど若い女、茶色い髪が白い枕に扇のように広がっている。反対側の二つ先のマットレスには座って朝日新聞を読みふける中年の男、黒いジャンパー、「国の追悼施設、陸前高田と石巻に 20年度末完成めざす」、私は見出しをちらりと目に刻んでデッキに出る、かもめにカメラを向ける、それからガラス窓越しに船室の中の男にカメラを向ける。カメラの気配に気づいて男はおのずとほほえんだ。なさけない、腹に一物もない、ふがいないにもほどがある男だ。この男はかつて厨子王と呼ばれていた。ふがいない厨子王。王のくせして、おのれの意思で安寿ひとりろくろく殺すこともできない。ふがいない厨子王を連れて私は佐渡にゆく。雨が降っている。旅の雨は恵みの雨なのだと、これも古の旅人の教えである。今度こそ安寿は殺されなければならない。

 

(ねえ、知ってる? いまググって私も初めて知ったんだけど、エコエコアザラクって、「響け響け、祈り、響け響け、かすかに」という意味なんですって。)


海は凪いでいる。まったり揺れるマットレスに腰を下ろして、私は隣のマットレスに寝転ぶ男の耳をまじまじと見ている。男の耳は、耳たぶがふくよかで恵比寿さんのようによく笑う耳だ。男も私の西洋猿のように横に突き出た耳を見つめ返して、俺もピアスをしてみたいなぁ、似合うだろうかと、邪気のない目で尋ねる。私の耳には左に二つ、右に一つ、三つのピアスが刺さっていて、金属アレルギーでいつもなんだかジュクジュク湿っている、その左の余分のピアスを一つ抜いて、おまえの耳にためしに刺してやろうか、マシュマロみたいな耳たぶだから、すーっと穴が開くかもしれないよ、もしかしたら、つーっと赤い糸のような血が流れるかもね、おまえの血は甘くておいしいかもね。そう言ったら男は少し震えてみせた。私は男の耳に執着して話しつづける。この世にはね、生まれつき耳たぶに穴が開いている人たちがいて、たとえば山口の長門のある小島ではそういう人のことをなぜだかフジワラトウと呼んだらしいのだけど、この人たちは素手で平気で蛇を掴むことができたらしいのよ、と言いながら男の華奢な手を引き寄せて、見る。皺ひとつない、指紋もない、おまえの手はきれいな手だねぇ、と男の手をさする。柔らかな手、とりわけ先っぽが丸みを帯びた中指が魅力的、中指をさりげなく左手で包み込んで、なにげない声で話しつづける。なんなく蛇を素手で捕まえてしまう者のことをニガテという、ニガテは蛇の魂をその手で掴みとることができる、蛇はニガテに掴まれたらピクリとも動けない、柳田国男がどこかでそんなことを書いていた、と語る私はこれまでに男のもとにやってきた無数の安寿のことを想っているのだ。こんなふうにたくさんの安寿がおまえの中指を掴んですがりついたよねぇ。今は私の手のうちにある男の中指はぴくりともしない。私は男の耳をあらためてじっと見る、妙な耳なのだ、覗き込んでも耳穴が見えない、恵比寿さんのような耳をして、ほほえみながらこちらに耳を傾けているというのに、耳穴がない。いったいどうしたことだろうか。耳に穴も持たずに、声はどこからこの男のなかに入っていくのだろうか。声など聴かなくとも人間は意思の疎通ができるものなのだろうか、泣いたり笑ったり歌ったりできるものなのだろうか、むやみに声を聴くのは禍々しいことだから耳に蓋をしたのだろうか、穴のない男の耳は笑っている、私が男に話しかけるこの声も男のうちへと入る穴を見つけられずにぐるぐるとぐろを巻いているというのに、ひとりの安寿もろくに殺せないくせに、おかまいなしに笑っている、耳の穴があるべきその場所に釘を打ちこんで穴をあけてやろうか、血まみれの声を耳の底へと流しこんでやろうか、おまえの魂まで血まみれにしてやろうか。男はほんの少し震えてみせた。船はゆっくりと佐渡の港に入った。しっぽりと紅葉する山が見えた。まだ雨は降っている。

 

(昔、男がまだただのわがままな坊やだった頃、男の小さな頭を膝に乗せて、男の母が言ったんだそうだ。おまえの耳は厄介だね、穴がないから、耳垢も掻きだせない)

 

その昔、丹後由良で死んだはずの安寿は生きている。

これも男の耳には禍々しい話。

まだあっちこっちに安寿はいるよ。

こんな声も男はけっして聴きたくはない。

安寿恋しや、ほうやれほう、

歌に呼ばれて佐渡に渡った安寿もいるらしいよ、

だから私とおまえはこうして佐渡に旅してきたのだよ、

ところで、おまえはおまえの安寿たちとどこでどうやって出会ったの?

 

雨に打たれて佐渡をめぐれば、

佐渡の畑野の町なかの三叉路に安寿塚、根元が大きく二股に割れて塚におおいかぶさる木がその目印だ。この地でひとりの安寿が死んだという。

佐渡の南片辺の浜の鹿野浦にも安寿塚、いつかの台風で古びた祠が吹き飛ばされて、今は目にも鮮やかな朱塗りの祠、なかには小さな地蔵が三体。ここでもひとりの安寿が死んだという。

佐渡の達者海岸の山際にも安寿地蔵堂、ここには清水が湧く、目洗い地蔵がそこに立つ、この清水で目を洗えば、ぱっちりと見えるようになるという、佐渡に売られた安寿の母は、佐渡金山の鉱毒でやられた眼を、ここの清水で癒したという、見開いた目で佐渡まで母に会いに来た安寿を見て、達者でよかったと喜び合ったのだという、ここの安寿は生きてどこかに逃げ落ちたらしい。

佐渡の小木の対岸の直江津の海べりにも安寿供養塔、ここは安寿と厨子王と母と乳母が人買いにかどわかされたところだね。

北回りの北前船に乗って行ったのだろうか、津軽の岩木山には安寿姫。

そういえば、この春、直江津の隣の上越高田で人形浄瑠璃「山椒太夫」を観たのです。佐渡の人形一座が演ずるこの物語は、森鴎外の『山椒大夫』とも、説経節「さんせう太夫」とも違う、古浄瑠璃の文弥節の「山椒太夫」、文弥節の安寿も生きて佐渡に渡ります。

 

文弥節は長いから、少しはしょって語りましょうか。いきなりですが、今や安寿は死にそうだ、丹後由良の山椒太夫のもとから厨子王を逃がした咎で、太夫の三男、邪慳なる三郎に責めさいなまれて身も砕かれて息も絶え絶え、なんとその安寿を救い出して佐渡まで連れてくる天下無双の若武者がいるのです、その名も宮城の小八、これは安寿の母とともに佐渡に売られる乳母の姥竹の息子だ、森鴎外の『山椒大夫』にも説経節の「さんせう太夫」にもないキャラだ、眉も凛々しい小八は軽々安寿を背負って佐渡へとやってくる、外海府のどこかの浜だろうか、昔は佐渡の長者の塩汲み浜で今では荒れ野原の鹿野浦の浜だろうか、小八はしきりに水を欲しがる安寿のために清水を汲みにいく、海岸線に山が迫る、その山と海の境目には湧き出る清水がある、佐渡のそこかしこに佐渡に生きる者たちの命の水の清水がある、荒波、荒海、ざっくりと削りとられた大岩、奇巌、断崖絶壁、切り立った山へのその上がり口、そこが村の入口、水が湧くところに人は住む、清水には邪気を払う注連縄がある、地蔵が立つ、その清水を小八は汲みにいったのだ、安寿をたった独り、海辺の荒れ野に横たえて、鬱蒼と険しい山のほうへと小八は向かう、そのわずかの間の出来事でした、安寿姫恋しや 厨子王見たや ほうやれほう、荒れ野原に歌が彷徨う、そうだ、あの声は、直江津の沖で生き別れて、佐渡に売られた安寿の母の声だ、佐渡の長者の奴婢となった母は、目玉が乾いて干上がって盲いるほどに涙を流しつくしたのだ、見えない目で日がな一日鳴子のつなを引いては粟をついばむ鳥を追って生きてきたのだ、安寿姫恋しや 厨子王見たや ほうやれほう、子どもはいづくに売られけん、しかし人間というのは残酷なものです、佐渡の奴婢の日々は酷かったよ、どこのどんな島であれ、お上に痛めつけられている庶民はみんな善人ばかりなんていうのは世間知らずの言葉だよ、一番怖いのは庶民さ、大衆さ、と、それは、この世のどこの島でも、闇に葬られた人間の性と業を掘り返す墓泥棒たちが一様に声をそろえて言うことだよ、それがたとえ哀れなめくらであっても、垢まみれのざんばら髪の老婆の奴婢が子を恋うて哀しい歌を歌えば、その哀しみに触れたくない者どもが老婆をからかう、なぶる、いじめたおす、おうおうわたしが安寿だよ、おうおう俺が厨子王だよ、あれあれ、おまえ信じたのか、おまえの子がここにいるわけがないじゃないか、けらけら笑うその声に、めくらの老婆は、今となってはこの世の道を行くたったひとつのよすがの杖を振り回して、こう叫ぶんだ、盲目の打つ杖は咎にはならぬ! おまえたち、打ち殺してやる、それをまたけらけら笑って人々が通りすぎてゆく、そうさ、ちょうどその時だったのさ、安寿が佐渡にやってきたのは。安寿は荒れ野原にひとり横たわっている、かすかな歌が聞こえてくる、安寿姫恋しや 厨子王見たや ほうやれほう、子どもはいづくに売られけん、瀕死の安寿はその歌声を聴くや、はっと、石のように重くなって冥府に今にも沈みそうであった頭をあげる、あたりを見まわす、ああ、ああ、ああ、母上ではありませぬか! 安寿は立とうとして、邪慳なる三郎に打ち砕かれた身のあまりの痛さに、足も立たずにようよう這いずり這いずり、めくらの母の着物の裾に取りついて、母上様、安寿でございます! 母はその必死の声を聴いて髪を逆立てる、またおまえたちか、馬鹿にするな、その手を放せ、そこをのけ、めくらの杖は咎ならじ、ええい、よくも、よくも……、打ちおろす、渾身の力で杖を打ち下ろす、殺してやる、打ち殺してやる、めくらの杖のめった打ち、わが娘の声すらもわからぬめくらの母の黒い闇。とうとう安寿は死にました。急所を打たれて息絶えました。

 

(でも、これは物語ですから。安寿はまだ死んでませんから)

 

めくらの悲劇と言えば、ギリシャの昔のオイディプス王ですね。父も母も見定めることができずに、怒りにまかせて父と知らずに父を殺し、王位について母と知らずに母と交わり……、だからオイディプスはその目をみずからつぶすことによって、はじめてこの世の本当を観るのだ、人間というのはそもそもがあきめくらなのだ、というような教訓は当たり前すぎてつまらない。なにかにつけて恐ろしいのは、そのあきめくらの世にはびこる欲望です。父を殺したい? 母を犯したい? ええ、ええ、そんなのは底なしの欲望のほんの一部、欠片に過ぎない。抑圧する父? 交わりたい母? 欲望する私? エディプスコンプレックス? コンプレックスなどにおとなしく収まるものか、欲望はもっと自由だ、水のように自在にぬるぬるとこの世をめぐる、私に命令するな、私を縛るな、私を閉じ込めるな、私を分析するな、私は欲望なのだ、得体のしれない欲望なのだ、欲望の秘密を知る者こそがこの世の本当の王なのだ、この世の王は、王の前に這いつくばることだって、王にすべてを搾り取られることだって、みずから望んで欲望していることと思わせる、それを無上の歓びと信じこませる、知らず知らずの恥知らずの絶対服従の欲望の秩序を握って離そうとしないものなのだ……、いったい私は何を語りたいのだろうか、耳は形ばかりの耳なしのおまえなんかに話してどうしようというのだろうか、平家の怨霊のようにおまえの耳をむしりとってやろうか、耳は命に取ってかわるほどのものなのだろうか。芳一、芳一、おまえは目が見えないからこそ、姿なき者たちの声を聴いたんだろう? おまえの失われた耳は、いま、どこで、どんな声を聴いている? 殺したい、殺したい、この私のひそかな声は聴こえているだろうか? 殺したい、安寿を殺さねばならない、まだ安寿は死んでいない、ねえ、私の声は聴こえている? あのね、安寿を打ち殺した母は、そのあと佐渡にやってきた厨子王に救い出されるの、厨子王が肌身離さず持っていた身代り地蔵を母の盲いた目に押し当てたなら、あらありがたや、ご本尊光明赫奕と照らさせ給う、不思議や母上の両眼、はっと開きける、今では、めくらの母が安寿を打ち殺したあの荒れ野原には、めくらの母が歌っていた、ほうやれほうの歌の代わりに、こんな歌がかすかに漂っているんだそう。「片辺、鹿の浦、中の水は飲むな、毒が流れる日に三度」、流れる毒は打ち殺された安寿の涙と言う人もいるけれど、でもね、安寿は本当は死んでないの、流れる毒は佐渡金山の鉱毒なの、上越高田で人形浄瑠璃「山椒太夫」が演じられていたときに、客席には安寿がいたの。それはおまえもよく知っている安寿だったよ。おまえが忘れたくてたまらなくて、この世に存在すらしなかったということにしている、その安寿だったよ。その安寿、仮に安寿Aとしておこうか、人形芝居が終わった途端にtwitter上に安寿Aが流したまるで他人事のような呟きひとつ。

「上越高田で『山椒太夫』を見ました。佐渡の『山椒太夫』です。盲目になった安寿の母が、安寿を娘と気づかず打ち殺す、激しい物語です」

他人事と思えば悲劇も喜劇だから、安寿Aはますます気楽に高田駅からほんの10分電車に乗って、次の次の駅の直江津で降りて、極楽な観光気分で港の方へと軽い足取りで歩いていけば、ほら、橋が見える、海が見える、佐渡が見える、真っ赤な夕陽だ、海辺のこんぴらさんの境内の片隅には安寿供養塔が厨子王と乳母の姥竹の供養塔と三つ仲良く並んでいるじゃないの、あら、素敵な風景ね、記念写真、パチリ。安寿Aの隣には何人目かの厨子王X。安寿的には厨子王のない安寿なんて安寿じゃないから、一人の厨子王が消えれば、瞬く間に次の厨子王というわけで、さあ、通りすがりの若者に頼んで、目の前の供養塔のように、この千年来の癖で二人はひしと肩寄せ合って、パチリ、あ、もう一枚お願いしますぅ。

 

(「山椒太夫」の物語が語られるたびに、一人の安寿がさまよいでる。「山椒太夫」はこの千年の間はてしなく語られつづけてきたものだから、無数の安寿がこの世をさまよう。安寿A、安寿B、安寿C、安寿D、……)

 

せっかくの佐渡の旅だというのに、男はおのずと耳をふさいでいる。私は語りつづける。また別の安寿、これを仮に安寿Zとしておこうか、その安寿Zの口からもFacebook上に思わず呟きがこぼれおちた。

「丹後由良の如意寺には、厨子王の身代りに責め殺された安寿を祀った『身代わり地蔵』が一体。森鴎外の安寿と厨子王は近代的な個人です。しかし説経節『さんせう太夫』の厨子王は一家の『王』、安寿は男を知らぬまま母性の化身となった犠牲の守護神。私はこんな安寿を作った社会を憎みます、正します、闘います」。

安寿Zは自己認識においては近代的個人である。そしてフェミニストである。千年にもわたって無数の安寿が物語の中でさまざまに見世物のように責め殺されて、それもすべては厨子王のため、王たちの欲望のためであったことに憤っている、できれば説経節「さんせう太夫」をフェミニズムの視点で書き換えてみたい、鷗外の『山椒大夫』だっていまとなっては古臭い、安寿を入水させる? なぜ安寿がみずから死ななくちゃいけないのかしら? 書き換えてあげるわ、生きる安寿の物語に書き換えてみせるわ、安寿に焦点を当てれば、物語るその言葉遣いだって女性らしく変わるわよ、うふふ、と、それを現代の近代的個人である安寿の使命とわきまえている、しかしながら、あの三月、この世界が根っこから揺さぶられて、押し流されて、あらわになったあの事態、つくづくとこの社会の近代ははりぼてだったな、そして安寿Z、おまえの近代的個人のフェミニズムも似たようなものだったな、説経節の世界を糾弾する安寿Zは、Facebook上で糾弾の狼煙をあげるほんの三日前に、誰にも知られずひそかに三年間ひれ伏してきた厨子王に「わけは言えない。でももうおまえとは会わない」と有無を言わさず別れを申し渡されたばかりだったのだ。この厨子王を仮に厨子王Aとしよう。安寿Zにとってはすべての男は厨子王で、近代的個人としてみずからが選んだ王への服従は歓びなのであり、会わないと言われれば、はい王様と答えるほかはない、はい王様、はい王様、ぐずぐず泣いて、はい王様、言うことを聞かなければ安寿Zは安寿ではなくなる、レゾンデートルをかけて、はい王様。厨子王Aには安寿Zのほかにも妻も恋人も愛人もいたのである。母も姉も妹も娘もいたのである。そのすべてがなりゆきで、厨子王Aにとって女はひとしくみな安寿だったのである。安寿と厨子王の千年の愉楽。千年の惰性。千年の軛。もう物語も役割も欲望も空気のように刷り込まれているから、あきめくらでも、耳に穴がなくても大丈夫。目の前に相手が現れたなら、条件反射でぴくりとして、条件反射で這いつくばって、条件反射で呻いて、条件反射でよろこんで、条件反射で出会って別れてゆく。で、問題はおまえだよ、おまえはおまえの安寿とどこでどうやって出会ったのよ? 

 

(ようやく男が口を開いた。さびしい歌をうたっていたのだ、と男は言った。ほら、こんなふうにと歌ってみせた、Oh my darling, oh my darling,oh my darling, Clementine.You are lost and gone forever, dreadful sorry, Clementine. さびしい歌をうたえば、向こうから安寿がおのずとやってくる、そして俺の中指を掴む。そこに俺の意思はない。交わす心もない。そう男は言った。今も俺はたまらなくさびしいのだと性懲りもなく男は言った。)

 

男がことの怖ろしさにことさらに忘れようとしていたかすかな記憶によれば、それは二〇一一年の二月の初めのことだった。安寿Kが説経節「さんせう太夫」の古例に倣って、神々に誓いを立てたのだという。安寿Kは京都から、男は東京から、さびしい歌でおのずと近づいた二人は宇治山田で落ちあって、伊勢神宮に詣でた。しかしなぜに伊勢神宮なのだ? はりぼての近代の隠れた根っこがそこにあるからなのか? それともこれもただのなりゆきなのか? 

 

さてもさても安寿Kが伊勢の天照大神に申し上げることには、この男が私の厨子王でないならば、近代的個人安寿にふさわしい堂々たる近代の王でないならば、どうか、今すぐにも私の立つこの大地を大きく揺さぶってお知らせくださいませ、どうか愚かな安寿に戒めの天罰を……、安寿Kは、古式ゆかしく、独鈷を握って鈴を振り、苛高の数珠をさらりさらりと押し揉うで、謹上さんぐ、さいへい再拝、上に梵天帝釈、下に四大天王、閻魔法王、五道の冥官、大神に泰山府君、下界の地には、伊勢は神明天照大神、外宮が四十末社、内宮が八十末社、両宮合わせて百二十末社の御神、ただ今勧請申し奉る。熊野には新宮くわうぐう、……と思いつくかぎりの神々の名前を挙げ連ねていくのだが、その祈りはあまりにも長くて禍々しいから、途中ははしょります、それから、蛇足ながら、祈りとはいうけれど、これは祈りではなく呪いです。自己愛の強い近代的個人、安寿K、本人は気づいていないが、これは自己愛の呪いです。神さまというのは、大昔から、たとえそれが呪いであっても、それがどんなに道に外れたことであっても、その念の強さに打たれて叶えてやることもある、そもそも神というのは理不尽の別名でもあるのですから、たとえば「さんせう太夫」と同じく五大説経節のひとつの「信徳丸」、この物語では義理の母が継子の信徳丸を異例の病、つまり癩病にしてくれろと京都じゅうの神社仏閣に呪いの釘を打ち込んで祈願する、すると信徳丸は見事に癩病になる……、ともかくもそういうわけで、かたじけなくも、神の数、九万八千七社の御神、仏の数は、一万三千余仏なり。この男がわが厨子王でないのならば、仏神の御罰を蒙るべし。この安寿の身のことは言うまでもなし。この足元よりこの世は揺らいで崩れるべし。一家一門、六親眷属に、至るまで、堕罪の車に誅せられ、修羅三悪道へ引き落とされ、浮かぶ世さらにあるまじ……。

 

二〇一一年二月某日。安寿Kの立つ伊勢神宮の大地は盤石だった。安寿Kは満足した。安寿Kは心の底からよろこんだ。

二〇一一年三月一一日、安寿Kの立つ京都の大地は盤石だった、男の立つ東京の大地は大いに揺さぶられたが、幸か不幸か、男は無事だった。安寿Kは躍りあがってよろこんだ、その一瞬で二万人が命を落とそうとも、われら二人は無事なのである、神々はわれら二人をお守りくださる、この災厄はわれら近代の安寿と厨子王への神々の祝福なのだと男に夢中で語った。

二〇一一年五月某日、安寿Kは男を伴うて、丹後由良の身代わり地蔵を訪れた。この千年、果てしない責めの身代わりとなってくださったことへの深い感謝の念を申し上げるために。そしてその日、なりゆきのまま、阿吽の呼吸で、男はぴくりと疼いたその華奢な中指を安寿Kに掴ませた。それから二年間、男の中指は安寿Kの身代わり地蔵となった。安寿Kは中指をこの世の王のしるしとして崇め奉った。暇さえあれば服従のあかしにその汚れをみずからの舌で舐めてとり、ウェットティッシュできれいに磨きあげた。

 

(しかし、安寿Kよ、おまえがおまえの歓びと引き換えにした二万人の命を想うことはないのか?)

 

安寿Kは何も言わない。けっして言わない。じっと押し黙って、やがて近代の無数の安寿たちの遠い呟きが聞こえてくるようなのである。それは私の内側からじりじりと滲み出てくる冷や汗めいたざわめきのようなのでもある。知ったことか、知ったことか、遠い、見えない、聞こえない、知らない者たちの命のひとつひとつまで気にかけていたならば、きりがないではないか、この世はとどこおるばかり、非合理、非効率のきわみではないか、遥かな場所の目には見えない二万人の生き死によりも、今ここに在る二人の幸せ。二万人の死を想えば、生きる歓びもきわまるではないか。関わりたくなければ、目をそらせば済むことではないか。それが万古不易この世の真実でしょう? 生身を失くして数字になって記号になった二万人よりも、生身の二人の幸せでしょう? 生身の勝利だ、解放だ、それがわれらの近代だ、 みずから選んだ王の前にみずからひざまずく近代的個人の私の何が悪い? あなたはいったい何様なのですか?

 

(しかし、安寿K、所詮、おまえだって記号ではないか。おまえの厨子王はおまえの本当の名前を知らないではないか。目の前のおまえが安寿AだかKだかZだかわからなくなって、ふざけたふりして、十把ひとからげに、「もれなく安寿」と呼んでいたらしいではないか)

 

雨は降る。しとしとと二人連れが佐渡をゆく。昔は隣村に行くにも四十二曲がりの険しい山道を越えたのだよ、今は便利だ、トンネルくぐって、海岸道路を行ってさ、それでもね、私は安寿を殺したい、殺したい、私がそう言うたびに男が傍らで条件反射で震えてみせる。わかっているくせに、もうすべてがわかっているくせに、わかろうとはしない意地の悪い男だ。そうやって千年このかたずっと、さあ丹後由良から逃げよ落ちよ、山椒太夫が世界からはや落ちよ、落ちて堕ちて堕ちてしまえと、耳穴のない耳に囁きつづける安寿たちの自己愛に満ちた声の熱さに惑わされたふりをしては、俺のせいではないよ、俺の意思ではないよと、まばたきするようにぴくりとぴくりと堕ちてきたのにちがいないのだ。私は安寿なんか殺したくない、私は条件反射の物語の王など欲しくはない、ぴくぴくと生きているおまえがいやなのだ、安寿と二人しておまえがぴくぴくとなりゆきまかせに、いま私が生きるこの世界にかけた呪いを解きたいのだ。なのに、解くすべがわからない。嗚呼、しかし、佐渡は道に迷うにはよいところです。旅する者が神になると佐渡では言うのだそうです。たくさんの者たちが島に流れ着いて、たくさんの者たちが名も残さずに死んでいって、そんな行き倒れを神と祀る、そんな心が島にはあったのだそうです。だから、私も佐渡では安心して道に迷う。なにしろ佐渡ではむじなさえもが神になる。もともと佐渡にはむじなはおりませんでした。佐渡金山で使うふいごの革のためにむじなは佐渡に連れてこられた、むじなどもは皮を剥がれる、神になる、神になったむじなをまつる佐渡の十二権現さんを拝むのは熊野山伏だ、山伏の傍らには比丘尼がいた、これもこの世を旅する者たちだ。比丘尼のことを人々は「庵主/あんじゅ」と呼び、あるいは「あんじょ/尼女」とも呼んだという。ほら、佐渡の鹿野浦の安寿塚はもともとは十二権現。ここには、どこにも居場所を持たないこの世の旅人のあんじょがいたのかもしれないよ、こちらとあちら、見えるものたちと見えないものたちを結んで、祈る、呪う、歌う、語る、時には春も売る、そういう営みをしていた者たちの名残のあとが佐渡の鹿野浦の安寿塚なのかもしれないよ。そうだよ、佐渡の畑野の安寿塚は行き倒れたあんじょの櫛と笄を埋めた鎮魂の塚なのだよ、名もなきあんじょが、いつの間にか安寿と呼ばれるようになって、そうやって行き倒れの魂に名まえが与えられれば、何か安心するようではあるのだけれど……、そうね、安寿に呪われた私が、この島で、知る人もなくあんじょのように行き倒れれば、私も神にしてもらえるのかもね、名もないあんじょの行き倒れを憐れんで、安寿という名をいただいて、私も安寿塚に祀られるのかもね、私も安寿と呼ばれるのかもね、ああ、いやだいやだ、それだけはいやだ、そう言っているのは私だけじゃないよ、行き倒れた無数のあんじょたちが、いやだいやだ、道に惑うた無数の女たちが、いやだいやだ、波にさらわれた無数の女たちが、いやだいやだ、女も男も誰も彼も、いやだいやだ、この世を呪って呪われた安寿の名など欲しくはない、私には私の名前がある。私の命がある。おい、おまえ、ふがいない厨子王、本当のところは、おまえもそう言ってみたいんだろう? この世のからくりや欲望や物語に逆らうには小賢しくて小心すぎるから、そうは言えないだけなんだろう? 

 

あれからずっと雨が降りつづいている、佐渡の雨がついてくる、恵みの雨だ、問いに惑うのも旅の恵みだ。ええ、ええ、惑っていれば、たまには僥倖もあるのです。これはついこないだのことなのです。旅の浪花節語りに呼ばれて旅した滋賀の大津の湖のほとりの町の辻で、ひとりの年老いた真宗の説教師に行きあった。説教師はどこからやってきたのか、旅の者だという、私は仏教徒ではないけれども、道に惑う者だから、道ゆく者の声には耳を傾ける。なもあみだんぶー、なもあみだんぶー、千年生きたむじなのような説教師が念仏を唱えて、こう言ったのだ。頭で考え抜けばいきづまる、自分で自分を救おうとしても救われない、なもあみだんぶー、なもあみだんぶー、念仏を唱えて、さらにこう説いたのだ。名号とは名乗り叫ぶことなのである、名の叫びなのだ、おまえがた、子供ができたら、お父さんだよお母さんだよと言うわね、あなたの親であるぞ、あなたの親であるぞ、全身全霊であなたを抱きとってやるぞと言うわね、お父さんだお母さんだと名乗るはわが名を呼べということぞ、そして、わが名とともにあなたにわが命が至りとどけ、わが想いが至りとどけということぞ、人間の命は、命から命へ、赤い血を受けつぎ、骨と肉を受けつぎ、大事に大事に守られてきた、その命が私のところに来ているのである、おまえのところに来ているのである、これはただごとではない、おまえの命も、私の命も、母親から、父親から、ご先祖から、遥かな昔から、くりかえしくりかえし大事に受け渡されてきた、これはただごとではない命なのだ、この命をまた次の命に受けわたすには、私ひとりではどうにもならぬ、おまえひとりでもどうにもならぬ、もうひとつの命と出会わねばならぬ、もうひとつの命を呼ばねばならぬ、命と命が交わらねばならぬ、これは難しいぞ、不可能かもしれないぞ、自分ひとりでは不可能だ、不可能だ、不可能だ、確か説教師はそう言ったように思うのだが、説教師の声をなぞりながら私も声をあげて語るうちに、これは説教師の声なのか、自分がおのずと発している声なのか、わからなくなってきた、いや、わからなくてもよいのだ、声が声を呼ぶのだ、さあ、おまえの命の名を叫べ、全身全霊であなたを受け止めるぞと、全身全霊であなたを抱きとってやるぞと、もうひとつの命の名を呼べ、おまえの声をもうひとつの命のまっただなかに注ぎ込め、その叫びが私の胸にじんじんとしみいるぞ、しみてしみて底までしみて、底の底から心が震えるぞ、私は生かされるようだ、ただごとではない命となるようだ、名前を叫べ、命の名前を呼べ、その声で、なもあみだんぶー、なもあみだんぶー、なもあみだんぶー、なもあみだんぶー、……、

 

私は、男に、本当に生きたいのなら、救われたいのならば、みずからの名を叫べ、そして私の名を呼べと言うだろう、安寿を殺せ、ひとおもいに殺れと囁くだろう。男はもう身を震わせない、ぴくりともしないだろう。男に向かって、私は私の名を叫ぶだろう、男の名を呼ぶだろう。私の叫びは、穴のない男の耳に、ぎりぎりと穴を穿って、男の血に染まるだろう。男は耳から血を流しながら、生まれてはじめておのれの名前を叫ぶだろう、無数の安寿たちに掴ませるばかりだったその中指を私の胸深くに突き立てるだろう、私の血にまみれた声で私の名を叫ぶだろう。私は靴を脱ぎ捨てるだろう。