『バグダッド・カフェ』

 

 I am calling you.   Can't you hear me?

 

 

 監督;パーシー・アドロン 

 出演:マリアンネ・ゼーゲブレヒトジャック・パランスCCH・パウンダー 一九八七年)

 

 

 これは声を聴く者の物語。

 もしかしたら、もうひとりのあなたの物語。

 

 アメリカ、砂漠、見渡すかぎり渇いた荒野。途方に暮れた中年の女がひとり。ドイツのババリアから夫と二人、ラスベガスに観光に行くはずだった。なのに、どうしたことか、よりによって、こんなところで、夫の運転する車から、ひとり途中下車。

しょうがない。何かが終わって、何かがはじまる、人生にはそんな瞬間が幾度となく訪れるものだけど、彼女ジャスミンはその瞬間を砂漠のど真ん中で迎えてしまったんだ。こればかりは、どうしようもない。

 さあ、孤独なジャスミンが歩き出す、はじまりはまだ不確か、一歩、一歩、砂漠を踏みしめてゆくほかない。あてもなくジャスミンが歩いてゆくその先に、やがて一軒の古びたモーテル&カフェが姿を現す。その名はバグダッドカフェ。

 

あ、でも、ちょっと待って。バグダッドカフェにジャスミンがたどり着く前に、少しだけ巻き戻し。

 ほんのささいなことだけど、砂漠に降り立ったジャスミンが、そこで最初にやったことがあるんだ。何気なく、たぶん彼女も無意識のうちに。誰かが投げ棄てていった空き缶をね、彼女は拾う。ささやかな砂漠のお掃除。そして、人生のすべての出来事というのは、こんなささやかなことのなかに、そのひそやかな前触れを潜ませているものでもある。北京で蝶々が羽ばたいて微かな風が生まれたら、めぐりめぐってそれがフロリダでハリケーンを巻き起こす、そんな話をあなたも聞いたことがあるんじゃないかな。

 彼女は砂漠で空き缶を拾った。誰も見ていない、誰のためでもない、もしかしたら、ただ砂漠のために。彼女はそういう人なんだ。でも誰もそのことにはまだ気づいていない。彼女自身も。

 

 バグダッドカフェの女主人はブレンダ。いつも不機嫌だ。カフェだというのにコーヒーマシンは故障中。モーテルのオフィスは埃まみれ、紙屑の山。役立たずの亭主は追い出した。いつも心はせわしく、何かにつけがみがみと怒鳴り、ひどく寂しい。息子はピアノをひたすら弾き、娘は常にイヤフォンを耳に差し込み、誰も何も聞いちゃいない。ブレンダだって、聞こえているのは自分の怒鳴り声ばかり。

You heard me!?

(いったい、おまえは、私のこの声を聞いているのかい!?)

 聞こえないよ、ブレンダ、何も聞こえないよ。

バグダッドカフェの誰も彼もが、埃のように降り積もって心を覆う悲しみに耳塞がれて、他の誰の声も聞いちゃいない、聞こえないんだ……。そう、ブレンダ自身もね。

 

ほどなく、なんとなく居心地悪く感じていたジャスミンが動きだす。特別ななにかをするわけでなく、ただただ彼女らしく、ごくごく自然に。

泊り客だというのに、ブレンダの留守の間にカフェの大掃除。埃を払う、ゴミを捨てる。ぴかぴか磨く。怒る怒る、ブレンダ激怒! (でも、ほんとは、ほのかにうれしい)、息子のピアノにジャスミンがじっと耳を傾ける。息子がジャスミンに心を開く。怒る怒る、ブレンダ激怒! (この女、悪だくみでもあるんじゃないかと、疑心暗鬼)、心寂しい娘が気まぐれに示したジャスミンへの好奇心をジャスミンがまっすぐに受けとめる。娘がジャスミンに心を開く。怒る怒る、ブレンダ激怒! (ふりあげた拳の落ち着き先が見つからない)、ついに大爆発!

それはね、もう、まるで、ブレンダの心のうちのパンドラの箱が思い切り開いてしまったかのようだった。怒り、妬み、恨み、憎しみ、悲しみ、不信、絶望、意地、あらゆるいやな気持がいっしょくたに飛び出して、でも、ほら、そうしてすっかり空っぽになった心の奥底に、今まで気がつかなかった希望が、愛したい気持ちが、信じたい想いが……。

 

ブレンダがすべてを吐き出したとき、初めてジャスミンが、ぽつりと、かすかに哀しみの滲んだ声をもらす。その声を、ブレンダは、確かに聞いた。

 

I am calling you.   Can't you hear me?

 

砂漠のまっただなかのような孤独の底から、漂い出してくる声がある。

心を澄ませて、耳を澄ませて、

聴こえるでしょう? あなたを呼ぶ声が。

あなたの呼び声に応える声が。

 

そう、誰もが出会ったときは、見知らぬ者同士。でも、その出会いは、ひそかな呼び声に知らず知らず導かれたものなんだろう。

耳が開かれ、心が開かれたその瞬間に、ひそかな呼び声は確かな呼び声となるんだろう。

そうして、声と声が結び合った時、人はつながる。笑いがこぼれる。歌が生まれる。新しい物語がはじまる。

 

ジャスミンはこっそりマジックを練習していたんだ。カフェで腕前を披露して、カフェのお客をびっくりさせて、楽しませて、やがてブレンダと二人、息もぴったり、歌って踊るマジックショーを繰り広げるようにまでなった。

なのに、不意に、別れの時がやってくる。

ジャスミンはドイツへ戻らねばならなかった。バグダッドカフェはぽっかりとうつろになった。……、静かだ、……、風が吹いている、……、物語は終わったんだろうか。

いいや、終わらない。耳を澄ませば、すぐわかる。呼びかわす声があるかぎり、終わりようがない。

 

ほら、もうあなたにも確かに聞こえるはず。あなたを呼ぶ見知らぬ誰かの声が。

さあ、声の方へ、もっと声の方へ、新しいあなたの物語が待っているその場所へ。

 

バグダッドカフェへ、ようこそ。

ここはモハベ砂漠のオアシス  ギアを落として一休み

浮世の悩みはマジックで消える  愛があれば 今日も生きられる

バグダッドカフェのショータイム

 

 

『ホテル・ニューハンプシャー』 

 

 

 

「開いている窓の前で立ち止まるな」

『ホテル・ニューハンプシャー』(新潮文庫)より

 

----------------------------------------------

(原作:ジョン・アーヴィング 監督:トニー・リチャードソン 

 出演:ジョディ・フォスター、ロブ・ロウ)

-------------------------------------------------------------------------


 

 

これは、夢を見つづける彼らの物語。

もしかしたら、もうひとりの彼らかもしれないあなたの物語。

 

ホテル・ニューハンプシャー。それはある一家の夢の名前だ。

この夢はしみじみと悲しい、じんじんと切ない、でもそこには優しさが満ちている。

思うに、夢って、そもそもそういうものなんじゃないのかな。そのことは、きっと、夢を追いかけて生きているあなたも、よく知っていることなんじゃないかな。

夢があるからこそ生きていける、夢があるからこそ挫折もする。夢があるからこそ倒れても立ちあがる、夢があるからこそ……。

そうなんだ、夢を生きるのは、そう簡単なことじゃない。さて、どうやって夢を生き抜こうか?

 

「いつも何気なく始まるのだ。わが家の昔話」。

映画はこんな言葉ではじまる。この物語の語り手はジョン。夢見る一家の次男坊だ。「わが家の昔話」というのは、つまり、この一家の父親が夢の由来をくりかえし語っては一家に夢の魔法をかけていくような、たとえば、こんな昔話だ。

 

 遠い夏のある日。ひとりの青年が海辺のホテルで熊と出会った。同時に未来の妻と出会った。そして、いつか自分のホテルを持つという夢に出会う。(この青年こそが、夢見る一家の父親になるというわけだ)。

 

 しかし、なぜに熊? こいつは簡単な芸を仕込まれたオートバイ好きの熊なんだけど、なんというか、夢が生れ落ちた瞬間にそこにいたばかりに、青年の夢の強力なよりどころになってしまったんだね。ヒヨコが生まれた瞬間に見たものを、無条件に母鳥と信じるように。

ともかくも、一家の父親が若かりし頃に出くわしてしまった夢は、やがて「ホテル・ニューハンプシャー」という名前を得て、つまりは一家を乗せた「夢の船」となって、見果てぬ夢の航海へと漂いだしていく。

 

教訓その1。

夢というやつは、時に、逃れがたい運命のようにして、いきなりやってくる。そして、人生に憑りつく。

 

 子供たち。語り手ジョンの言うところでは、長男フランクは孤独な同性愛者。長女の強くて賢いフラニーはレイプによる心の傷を隠し持っていた。そしてジョン自身はフラニーをひとりの女性として愛していた。次女リリーは小人症。小さなリリーは、作家となって書くことで大きく生きようとした。三男エッグは難聴。そして、夢を見ることしか知らない父親のすべてを受け入れていた母親はエッグとともに夢の航海の途中で、まるで波にさらわれるように、その夢がもたらした不慮の事故でこの世を去る。

 

 犬がいた。ソロー(悲しみ)という名だった。ソローもまた早々に、いかにもこの一家の犬らしい奇妙な形に姿を変えて、やがて母親とエッグとともに夢の航海から姿を消す。でも、姿なきソローは気配となって、つねに一家を離れることはなかった。

 

 教訓その2。

 どうやら、夢を見つづけることは、見果てぬ夢を追いかけていくことは、悲しみをまとうことでもあるらしい。さまざまな生と死を乗せて、悲しみと痛みをはらみながら、夢の航海は続くものらしい。

 

「開いている窓の前で立ち止まるな」。

これは夢見る一家の合言葉だ。もちろん由来がある。

 昔、オーストリアのウィーンにねずみの王様という大道芸人がいた。(ウィーンは、一家がアメリカの田舎町から移り住んでホテルを開業することになる町だ)。ねずみの王様はねずみを調教したり、犬に芸を仕込んだり、星占いをしたり。でも、誰にもかえりみられなかった。ある時、ねずみの王様は大道芸用のペットをすべて箱に入れて、ふと目についた建物の開いていた窓から飛び降りて死んでしまう。箱には、「人生はきびしい、しかし芸術は楽しい」と書かれていた。

 

 教訓その3。

 夢の航海を生きることは悲しい、痛い、きびしい。しかし夢見るからこそ生きる歓びもある。深刻になるな。立ち止まるな。

 

「人生はおとぎ話」。

そう言ったのは、一家の小さな作家リリーだった。ある時、リリーは、果てしない夢の航海の痛みに耐え抜くために、小さい身で大きく生きようと決意した。もう一つの航海を夢見たんだ。そして自伝的小説『大きくなりたくて』で世に出た。リリーは書くということに深刻に向き合った。大きくなりきれない自分に苦しんだ。あるとき、リリーは開いている窓の前で立ち止まる。ねずみの王様のように。

 

 教訓その4。

 人生は確かにおとぎ話だ。でも、それは、王子様のキスで生き返る白雪姫のような、ハッピーエンドのおとぎ話ではない。(本当の「白雪姫」は、私たちのよく知る「白雪姫」とは違って、もっとずっと恐ろしい話なんだけど、まあそれはそれとして)。人生とは、夢を見てはその夢が消え去るの見送り、それでも夢を見つづけることによってこそ紡ぎだされてゆくおとぎ話なんだ。

 

 一家は夢が招きよせるさまざまな事件に翻弄される。そのすべてをジョンは淡々と語っていく。父親の夢の行方を、その子どもたちのそれぞれの夢の行方を、深い愛を込めて、淡々と。

夢しか見えず現実を見ることを知らなかった父親は、ついには本当に目が見えなくなる。名実ともに夢に生きる者となる。(これはこれで幸せなのかもしれないね)。姉フラニーを愛するジョンは、強くて賢いフラニーによって、見事に愛の縛りから解き放たれる。新たな愛へと歩みだす。フラニーも兄フランクもそれぞれに夢を生き抜く力をつかみとってゆく。傷ついているからこそ、悲しみを知っているからこそ、軽やかに。

つまり、夢の船「ホテル・ニューハンプシャー」の子どもたちも、長い航海の途上でそれぞれに自分の夢と自分の熊に出会ったんだ。父親のものとは違う、自分自身の人生というおとぎ話とそのよりどころになる熊をね。こうして物語は果てしなく続く。

 

そして、あなた。あなたのおとぎ話は? あなたの熊は?

あなたに、ジョンからのやさしさに満ちた伝言を手渡そう。

――夢には憑りつかれろ。夢を見つづけよ。開いた窓の前で立ち止まるな。あなたのおとぎ話を軽やかに生きよ! 僕もそうして生きている。 

『ブルースブラザーズ』

 

  君は光を見たか? 

------------------------------------------------

 監督;ジョン・ランディス 出演:ダン・エイクロイド、ジョン・ベルーシ、ジェームス・ブラウン、アレサ・フランクリン、レイ・チャールズ、キャブ・キャロウェイ他  一九八〇年

 -----------------------------------------------

 

これは不意に使命に目覚めた彼らの物語、

もしかしたら、もうひとりのあなたの物語。

 

 黒いソフト帽、レイバンの黒いサングラス、黒いスーツ、黒いネクタイ、全身黒づくめの困った兄弟がいるんだ。兄ジェイク、刑務所から出所したばかりの大嘘つき、泥棒、はったり、自己チュー野郎、女の敵。弟エルウッド、駐車違反は軽く500回以上、法律よりも兄弟愛、その場しのぎ主義、どんな道でどんな車に追われても逃げ切る超絶運転テクニック、女の敵。そして、二人は解散状態の“ブルースブラザーズバンド”のボーカル!

 さてさて、このろくでもない二人が神より与えられた使命に目覚めたらどうなるか?

 少なくとも女の敵でありつづけることは間違いない。(実際二人は謎の女にバズーカ砲やら火炎放射器やらマシンガンやらで狙われつづける)、だから少なくとも人類の半分は敵、そのうえ、使命を果たそうと爆走するほどに、敵がネズミ算的に増えていくという不思議。(イリノイ州警察、州兵、ネオナチ、マッチョなカントリーバンド、特殊部隊……)それでも、たとえ世界全部を敵に回しても、彼らが果たすべき使命とは、いったい何? それはね、……、実はね、……、

  と、ここで、しばし脱線。「人間の使命」について。

 使命と言えば、人間には誰しも天より与えられた使命があり、この世はそれぞれ違う使命を持って生きるさまざまな人間たちによって織り上げられているわけであって、ところが使命に気づかずに一生を終えたり、気づいてもほんのわずかしか使命を果たせずに一生を終える者も少なくないのである。と、教えてくれたのは、神の世界も人の世界も霊の世界も此岸も彼岸も地獄も極楽浄土も知り尽くしたあるお方。与えられた使命を果たすことなく一生を終えれば、当然、もう一度生まれ変わってやり直しなのだが、使命の達成率が低ければ、生まれ変わるのにも時間がかかる。700年待たねばならないこともあるんだそう。

 だから、わが使命に気づいたなら、使命を果たすべく、小さなことは気にせずに、くよくよしないで前向きに、爆走、爆走、また爆走!走れば走っただけのことがある、それが生きるってことじゃないか。それでこそ生まれた甲斐もあるというものじゃないか。

 というわけで、ブルースブラザーズ、大爆走!

  彼らの使命は何かといえば、彼ら二人が育った孤児院を救うこと。孤児院は税金5000ドルを滞納したために立ち退きの危機にある。猶予はあと11日。さあ、どうする?

 5000ドル。いつもの彼らなら、盗むか騙すかくすねるところだ。ところが、汚い金はいらない、身を浄めて出直して来いと、育ての親であり孤児院の院長でもあるシスターにしたたかに殴られた二人は、とりあえずおのれを浄めてみるかと教会へ向かう。

 ところが、この教会がとんでもないんだ。あの偉大なるJB、ファンクの帝王ジェームズ・ブラウン扮する牧師が歌って踊って煽って、教会のなかは熱狂の渦。

「見逃すな、神の光は夜盗のように忍び寄るのだ」

(わお、それは大変だ!)

「君は光を見たか?」

(おい、ジェイク、大丈夫か? 全身がびりびり痙攣してるぞ)

「汝は光を見たか?」

(JBがジェイクめがけてとどめの絶叫)

 歌に包まれて、教会の窓から射し込む夕陽の光に直撃されて、兄ジェイクは感極まって、

「私は光を見ました!」

 きらきら光輝くジェイクは気づきの雄叫び、

「バンド!」

 弟エルウッドも、雷に打たれたように、

「バンドだ!」。

 不意に何を為すべきかを知った二人は、叫んで飛んで跳ねて踊りだす。

  そうだ、これは神の啓示だ、ブルースブラザースバンドを再結成して清き5000ドルを稼げばいいのだ、昔のバンド仲間たちを何が何でも呼び戻せばいいのだ、弱みを握っているプロモーターにでかいコンサート会場を押さえさせればいいのだ。

ああ、その存在自体が大迷惑。なのに、彼らの爆走を誰も止めることができない。

なぜなら、それは、神より与えられた使命だから。

 とにかくこの兄弟はめちゃくちゃだ。でも、ブルースブラザースの歌は実にクール。身のこなしはとてもキュート。爆走する二人を捕まえようと追ってきた者たちも大集結のコンサート会場で、二人がまず一発目に歌うのは、R&Bの大御所ウィルソン・ピケットの名曲「Everybody needs somebody to love」。その前奏のところでの弟エルウッドのMCは、まことに能天気で素敵なことこのうえない。

「ようこそ、みんな、愛してるよ、会えてうれしいよ。とりわけ、選ばれてこの会場に派遣されたイリノイ州の警察関係の諸君、大歓迎だ。みんな、僕らのショーを楽しんでくれ。そしてこのことを忘れないで。人はみな、何者であろうと、何をしようと、生きているかぎり、同じ人間同士。君も僕も彼らも同じ人間、みんなみんな同じ人間なんだ」 

 かくかくしかじか、税金5000ドルは無事に収めた。二人は刑務所に無事収まった。無数のパトカーに追われても女に銃で狙われても爆破されて吹き飛ばされても瓦礫に埋もれても、やつらは不死身だった。そして刑務所の中でもブルースブラザースは歌って踊りつづける。

  というわけで、人生の使命に目覚めて、今まさに爆走しようというあなたに一言。

  歌え、踊れ、走れ! 大丈夫、天はあなたの味方だ。