今様祭文  件    

       原作:内田百閒    脚色:姜信子    語り:渡部八太夫

 

背景に大きな黄色い月

 

遠い太鼓 次第に近づいてくる

ドクン、ドクン、不穏な響き

 

ハア ハア ハア 荒い息遣い

 

太鼓、鳴りやむ。   

  

 

 

 

不意に何者かの心許ない呟き

「生きてるんだかなぁ、どうなんだかなぁ」

 

しばし、沈黙。

 

静かに、チーン、チーン、鈴の音。

 

おもむろに語りはじめる。  

 

黄色い大きな月が向うに懸かっている

色ばかりで光が無い

夜かと思うとそうでもない

後ろの空には青白い光が流れている

 

黒い影が 月の面から消えたら

蜻蛉はどこへ行ったのか 見えなくなった

俺は見果てぬ 広い野原の 真ん中に立っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

からだがびっしょり濡れて 

 

しっぽの先からぽたぽたとしずくがたれている

件の話は子供の頃に聞いたことはあるけれど

自分がその件になっちまうなんてなぁ 

 

体が牛で 顔だけ人間の あさましい化物

 

いったい俺は牛なのかい?  人間なのかい?

 

何の影もない広野の真ん中で 

ああ どうしていいかわからねぇよ

おーい、俺を産んだ牛はいってぇ どこへ行っちまったんだい

 

 

そのうちに 月が青くなってきた

後ろの空の光が消えて 地平線にただ一筋の帯のような光が残った

 

おお なんだかよぉ 黒い小さな点が いくつもいくつも

 

みるみるうちにその数は増えて 地平線一帯に並んだ時

光の幅がなくなって 空が暗くなった

そうして月が光り出した

 

 

からだがだんだん乾いてきた

背中を風が渡るたび

短い毛がそよそよと動いた

 

月が小さくなるにつれ 青い光は遠くまで流れた

水の底のような野原の真ん中で

俺は人間でいた頃のことを 色々と思い出していた

 

アア 

後悔ばっかりだな

しかし どこで俺の人間の一生は区切れるのかな

人と牛の境はどこかな。

 

前足を折って寝てみたら

毛の生えていない顎に砂がついて 

気持ちわりぃ

 

ただそこいらを無闇に歩きまわった

そのうちぼんやり夜が更けた 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月が西の空に傾いて 

 

夜明けが近くなると 

西の方から大波のような風が吹いてきた

俺は砂のにおいを嗅ぎながら

これから件に生まれて初めての日が来るんだなぁと思った

そのとき、恐ろしいことを思い出した。

 

 

件ってやつは、生まれて三日で死ぬんだぜ

その間に人間の言葉で 未来の吉凶を予言するって言うじゃねぇか

こんな姿でいつまでも生きたってしょうがねぇから

三日で死ぬのはかまわねぇが 予言ちゅうのは勘弁だな

 

第一 何を予言しろってんだい

見当もつかねぇぜ

 

しかしよぉ 不幸中の幸いだなぁ こんな野原のど真ん中にいてよ

あたりには人間のにの字もありゃしねぇ

へっへっ まあ このまま黙って死んじまおう 

 

と思った途端

西の風が吹いて 遠くの方になんだか騒々しい人の声が聞こえる

 

驚いて

その方を見ようとすると また風が吹いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今度は 

おお あそこだあそこだ という人の声

しかもその声に聞き覚えがある

はっはぁ きのうの日暮時 地平線に現われたあの黒いものは

人間だったのか

それじゃ 俺の予言を聞くために 

夜どおし この原野を渡って来たのかい

 

えっえっ こりゃてぇへんだ 

つかまらないうちに 逃げるにかぎるわいっ

 

東に向かって走り出せば 

東の空に青白い光が流れ

おお あそこだ あそこだ

声が聴こえる

 

北に逃げれば 

北風が吹き  

おお あそこだ あそこだ

 

南へ逃げれば 

南風が吹き 

おお あそこだ あそこだ

 

はぁ こりゃ もう 逃げられない

 

この大勢の人々の群れは 

皆 俺の口から

たった一言の 予言を聞くために 集まってきたのか

ああ もし 俺が件でありながら 何にも予言をしなかったら

どうなるんだろうか

三日目に死ぬのは構わないが 

その前に怒った群衆に いじめられるのは困るなぁ

 

 

西の空に

黄色い月がぼんやりかかってふくれている

夜が明け離れた

 

何千人だか 何万人だか 

恐ろしい人の群れ

 

 

俺を遠巻きに取り囲む

やがて人々は忙しそうに働き出し

柵をめぐらし 足場を組んで 桟敷をこしらえた

 

あんなもの こしらえやがって

これから三日の間 じっと俺の予言を待つ気かよ

どうにかして逃げ出してぇなぁ

 

しかし、ほんとに俺は件なのかい?

 

しばらくすると 西の方の桟敷の下から

白い着物を着たひとりの男が おけのようなものを持って近づいてきた

 

その男はもったいらしく静々と進んできて 

そのおけを置くと帰っていった

 

あたりは森閑と静まり返り

きれいな水がおけいっぱいに入っている

なんだ お供えか? 

飲めってか? 飲んじゃうよ。

 

ああ そらっ 飲んだぞ!

おお いよいよのんだか!

ささ これからだよッ

 

にわかに人々は騒ぎだした

 

ええ なんだよ 水を飲んだら予言しなくちゃいけないの?

ええ いやいや 俺には何も言うことはないぜ

 

うしろを向いて そこいらをただ歩き回った

人々は驚いて

 

あらっ そっぽを向いちゃいったよ

むう ひょっとすると今日ではないのではないか

いやいや よほど重大な予言をするんですよ

 

そんなことを言っているどの声も なんか聞き覚えがあるな

おや 柵の下にかがんでこっちを見ている男  誰だ?

むう なんか見覚えがある

ややっ あれは昔の友達

おお  あれはおじさんやおばさんだなぁ

むむ 昔教わった学校の先生や

俺が教えた子どもたちまでいるじゃないか

 

なんなんだよ、みんな集まって、まるで俺の葬式みたいじゃないか。

 

(ふっと沈黙)

チーン、チーン 鈴の音 二回

 

不穏な太鼓の音、ドクン、ドクン、  

 

ああ 思い出した……

 

俺はね、教員だったんだ

いやなことは いやだっ てなもんで

お上のいうことなんざ、なーんにも聞かない教員だったな

読み書き、そろばん、博物天文も、地理歴史

なんでも教えたが 

なにより楽しかったのは、

夕方から職員室でちびちび酒をやりながら、

こどもたちひとりひとりの顔を思い浮かべて、

ひとりひとりのための教科書を作ってやることだったなぁ

ま、そんなことしているから、

寝る時間もなくって、

死ぬ目にもあうわけだ

 

なのによ、なんでそのおまえたちがここにいるんだ?

いまさら件の予言なんか聞かなくても

もう十分におまえたちの行く末は教えてやっただろう

 

お上の言うことばっかり聞いていたら、

そのうちお上の言うまま、生かされたり殺されたりするんだぜ、てな

 

シンセ太鼓 ドロドロドロ……(雷鳴のように)

 

もしかして、おれはどこかでしくじったのかな

もう取り返しはつかねえのかな

 

 

(沈黙)

 

チーン、チーン、鈴の音2回

 

おや 

と云った者がある。

この件は、どうも似てるじゃないか

いやあ そうねぇ どうもはっきりわからんがね

そうだね 似てるようだけど 思い出せないねぇ

 

俺はうろたえた

 

やめてくれよ、わからなくていいよ

ばれたら まずいだろ

はずかしいだろ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

顔をそむけて下を向いているうちに ようやく日が暮れた

 

月がだんだん青くなるにつれて

人々は柵のまわりにかがり火をたいた

人々は寝もしないで 俺の一言を待ち受けている

 

(三味線の調べ 時が流れてゆく)

 

そうしてまた 夜が明け離れた

 

夜のうちに何千人という人々が野原を渡ってきたらしい

柵のまわりが ああ きのうより騒がしくなったなぁ

なんだか落ち着かないねぇ

 

おお 白い着物の男が来やがったぜ

水なんかいらねえよ 酒でも持って来いよ

 

と、見向きもしないでいると 

 

今日は飲まないね

おい、静かにしろよ

こんなに時間がかかるということは やっぱり 重大な予言なんですよ

 

また 人々はあわただしく動き回り

何度も何度も水を持ってきた

さっさと予言しろとばかりに、

水を鼻の先に突きつける。

 

うるせえなあ なんだ こいつっ

おや、こいつもなんだか見覚えのある顔じゃねえか

 

その男は俺が水を飲みそうもないのを見ると

ちぇっ 飲まないのか  

と言った

 

いらないよっ

 

いきなりあたりは大騒ぎになった

 

口を聞いたぜ

おお ほんとだ 確かにしゃべった

ええ? なんて言ったの?

いやいや これからですよ

 

人々は恐ろしい声を立てて罵り合いながら

俺の方へ走り寄ってきた

 

ああ、もう 勘弁してくれよ……

 

 

気が付くと また 

黄色い月が空にかかって あたりが薄暗くなってきた

いよいよ二日目の日が暮れる

俺はなんの予言もしない……

しかし、格別死にそうな気配もない

俺はほんとは件じゃないのかもしれねえな

予言をしなけりゃ 三日で死ぬとも限らねえかもな

もし死ななかったら、その先、どうなるんだ?

 

 

俺は急に命が惜しくなってきた

 

 

騒ぎはますますひどくなる

彼方此方に悲鳴があがる

だんだんに人垣が俺に迫ってくる

 

ああ、こわい、こわい、おそろしい

 

あまり恐ろしいので 夢中で水を飲んだ

あたりはシーンと静まり返った

 

全身から冷汗がにじみ出る

俺はいつまでも黙っている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがてまた 呟くような声

 

変だねえ どうしたんだ 

いやいやきっとこれからなんです 

きっと驚くべき予言をするに違いないんですよ

 

ゆらりゆらーり 群衆が 揺れだした

みんな なんだか おびえたような 泣きたいような顔になった 

 

おいおい、いったい、どうしちまったんだよ

 

群集が恐れおののいていると思うと

俺はもうなんにも怖くなくなった

 

おけの水を一口飲んだ

 

今度は何も言う者がない

息をのむ音ばかりが聞こえてくる

 

そのとき 

 

あ あ 恐ろしい と言った者がある

 

群集が少しずつ後ずさりをはじめた

 

もういい 予言を聞くのが恐ろしくなった 

件はどんな予言をするのか わからないぞ

いいにつけ 悪いにつけ 予言は聴かない方がいい

  

そうだよ、そのとおりだよ、と思ったとたん

 

何も言わないうちに あの件を殺してしまえ

 

やや、この声は、俺のせがれの声ではないか

この野郎! 息子に殺されてたまるかい 

 

群集の中にいる息子をひと目見ようと 

俺は思わず伸びあがった

 

 

おお 件が前足を上げたぞ 

予言がはじまるぞーーー 

 

その叫び声を合図に

群集は無言のまま 

恐ろしい勢いで 

四方八方

東西南北

命からがら

逃げてゆく

誰も、いなくなった

 

 

野原を月が黄色くぼんやりと照らしはじめた

俺はホッとして 前足を伸ばした

大きく息を吸い込んだ

 

 

チーン 鈴の音 一回 

 

「もう一度  生きてやろうじゃないか」

 

 

 

三味線

(シャラリ シャラリ シャラリ シャン

 シャラリ シャラリ シャラリ シャン)

 

三味線が終わる

太鼓  心臓の鼓動のような ドクン ドクン ドクン ドクン

 

終わりを告げる柝の音

 

 

          ―これからが ほんとうの はじまり―