学習院大学 文学演習後期第4回

 

いったん整理します。

問題はつまり、

 

どの死者の声を聞くのか?

 

ということなのです。

 

「砂けぶり」の現場を死の恐怖の中で体験し、「朝鮮人になっちまいたい」とつぶやいた折口はいったい誰の声を聞き取っていたのか?

 

戦後、行き場を失ったままの日本人戦死者の魂の行方を案じた折口は、すでに、「異人殺し」で始まった日本近代の魂の行方(もしくは行方不明)を感受していたのではないか?

 

日本古来の「滑らかな拍子」の短歌の形式ではあの事態は歌えなかった折口が、はじめて短歌ならぬ形式(あるいは、破調)で書いた詩が「砂けぶり」であったこと、それ自体にこれからますます不穏な近代の予兆がその言葉に孕まれているとも言えるのではないか?

 

折口の歌に破調を引き起こした死者たちが、そこにはいる。

 

いまいちど、問います。

 

私たちは、 どの死者たちの声を聞くのか?

 

ざっくり、分かりやすく、二分するならば、

 

●権力/国家/公共の名の下に殺された者/モノたちの声か?

 

●権力/国家/公共の礎のためにみずから命を差し出したとされる者たち(/同時にそのために他者の命を奪った者たち/英霊/靖国の神)の声か?

 

 

思想とは、文学とは、その新たなはじまりとは、夜の領域、闇の領域からやってくるのだ、と前回、ニーチェらの言葉を引き、折口の砂けぶりを参照しつつ、語ったわけですが、 

「おお、人間よ、そなた、高等な人間よ、心せよ! 次の言葉はさとい耳に、そなたの耳に聞かせるためのものだ――深い真夜中は何を語るか?」by ニーチェ

 

それは、突き詰めて言うならば、いまここに生きている者たちと共にいる死者の声を聴くことなのでもある。

(死者とともに生きることのない生者は、真に生きていると言えるのか?)

 

そして、それは、このような問いに置き換えることもできるわけです。

 

後期がはじまって、ここまで触れてきた庭田源八、田中正造、デリダ、折口信夫は、いったい誰の声を聴いているのか、

これから取り上げる石牟礼道子、金時鐘、谺雄二らは、いったい誰の声を発しているのか?

 

(さらにさかのぼれば、説経や祭文はいったい誰の声で語られていたのか、近代以前、この国に唯一絶対の現人神が創られる前には、どのような者たちが神になっていたのか?)

 

 

 

<若き死者からの手紙> 

 

上記の問いを考える手がかりとして、朴槿恵を放逐し断罪したろうそく革命を経て劇的に変わった韓国社会と韓国文学に触れてみたいと思います。

 

(当然、ここでは、韓国の現在を日本の現在と対照させて見ています。

いったい、人々は自身が生きるための言葉を持ちえているのか、文学は人間が生きてゆくための力となる言葉の土壌たりえているのか? という問いを抱かざるを得ない現在の日本の状況を踏まえつつ、現在の韓国社会を見つめています)

 

 

振り返れば、韓国においては、

1948年のアメリカを後ろ盾にした李承晩による正統性なき建国があり、

以来、反共を掲げたすさまじい反体制勢力への弾圧があり、
(敵対勢力は「アカ」のレッテルを貼って始末してしまえばよい)、

公式発表では島民の9人にひとりが殺されたという済州4・3事件もこの流れの中にあります。

(この国家による市民虐殺は、その事実も記憶も厳重に封印され、2000年に金大中大統領のもとで初めて真相究明特別法が制定され、2003年に初めて盧武鉉が大統領として謝罪した。)

 

この大義を持たない大韓民国初代大統領李承晩の退場後もなお、1961年の朴正煕による軍事クーデター以来、長きにわたる軍事独裁がありました。

 

それは、すさまじい人権蹂躙と拷問の時代でもありました。

いったいどれだけの人々がなんの罪もなく捕らわれ、命を奪われたのか。

 

1980年には全斗煥によって、民主化を訴える光州市民の虐殺も引き起こされている。

 

1988年のソウルオリンピックを前に、学生を中心に全国民的に広がった民主化運動に耐えかねて、(民主化運動の模様がメディアを通して全世界に流れて)、あからさまな軍事独裁政権がついに退場したのは、1987年のことです。

 

しかし、そののちも背広に着替えた軍人の支配は続き、金大中(1998~2003)ー盧武鉉(2003~2008)と、絶えることのない民主化の水脈のなかから生まれた政権もまた、大きな揺り戻しのなかで李明博(2008~2013)ー朴槿恵(2013~2016)にとってかわられ、とりわけ、メディアを完全掌握した朴槿恵政権のすさまじいばかりの反人権、反民主主義を目の当たりにしていたのが、つい最近までの話です。

(70年代に維新体制という独裁体制を布いた朴正煕の娘、朴槿恵が退場した今となっては、憲法に緊急事態条項を盛り込んで日本版維新体制/独裁体制を目指しているかのような日本の現政権の動きは、まるで韓国がようやく脱出した闇の時代へと逆行しているかのようです)

 

そして、1980年代に日本の大学に通う在日韓国人の学生だった私は、同世代の韓国の大学生たちが民主化のために次々と命を投げ出していったという事実を、2010年代の今になって、当時韓国で大学生だった友人たちから、彼らの声を通して、リアルに知りなおしている。

残念ながら、(そして恥ずかしいことに)、当時の私の幼い想像力では、韓国の大学生の死をわがことのように受け止めることができなかった。それは勇気ある他者の物語にすぎなかった。

 

それを、30年後の今、痛切な思いとともに知りなおす、そのなかで、心に深く突き刺さったのはこの言葉です。。

「私たちは誰もが若くして死んでいった友の手紙を胸に生きている。韓国人は誰もが死者からの手紙を持っているのです」

 

それは、つまり、生者がつねに死者の声を胸に宿しているということ、死者とともに生きているということです。

 

自分の中の死者が、人々に理不尽な死をもたらす大きな「力」に飲まれて諦めてしまうことを許さない。死者が生者に「闘いつづけよ」と囁きつづける。死せる友との対話は、生者に、今を生き抜くための言葉をもたらし、言葉は今を乗り越える力となる。命がけの言葉と力が生まれ出る。

 

そうして、国家の礎として、愛国心の源として、国家に捧げられた命として国家の枠の中に回収されることのない、死してもなお黙することのない死者たちこそが、韓国の新しい時代を切り拓く力となった。

 

この死者と生者と言葉をめぐる光景。その礎にこそ文学はある。

死者たちの声を持たない文学に何の力があろうか?

 

そのなによりの証のひとつは、在日朝鮮人作家金石範の『火山島』でありましょう。

 

実を言えば、

「私たちは誰もが若くして死んでいった友の手紙を胸に生きている」。

という言葉を私と同世代の友から引き出したのは、作家金石範が胸に抱きつづけた死せる友からの24通の手紙でした。

それは、李承晩時代にその大義なき国家に抗い、闘い、死んでいった友からの24通の手紙です。

 

戦後の日本に在って、ソウルの友からの「祖国は若い力を必要としている」という呼びかけに応えることができぬまま、生き残ることとなった作家金石範は、若き死者の声を胸に、若き死者とともに、ペンを手に大きな力と闘い続けることになる。

 

国家による市民の虐殺であり、国家が隠蔽しつづけた済州4・3の記憶/歴史は、済州島を訪れることのできなかった一人の在日の作家の強靭な想像力によって、(金石範は長いこと入国を韓国政府に拒まれ、訪れることができなかった)、『火山島』全7巻に結実する。

文学的想像力によって創造された「正史」が、権力による「偽史」に抗する。すさまじい文学的営為。

 

金石範は、若き死者たちがそこにいるかぎり、死者たちの願っていた世界をいまここに呼び出すための言葉を紡ぎだす営為をやめることはできない。死ぬことすらできない。

それは果されねばならない永遠の約束なのです。

 

文学とは現世を生きぬくことのできなかった死者たちとの永遠の約束でもあり、同時に死者たちの声そのものでもあるのです。

 

さて、今日は、土本典明監督による『水俣病=その20年=』(制作シグロ)を観ます。

 

水俣病-その20年-/水俣病-その30年- (2作品同時収録) [IF<INDEPENDENT FILMS > DVDシリーズ2 公害の原点・水俣から学ぶ]

 

 

作家石牟礼道子がその目で確かに見た光景がここにはあります。

この光景のなかのすべての死者、すべての物言わぬ命たちの声によって、石牟礼道子の文学はこの世に生まれくるのです。

 

石牟礼道子が死者の声で語りだすとき、彼女はいったいどこに身を置いているのか、

これは石牟礼文学を考えるうえで、まことに重要な問となります。

 

幻のえにし     
            石牟礼道子

 

生死のあわいにあればなつかしく候 

みなみなまぼろしのえにしなり

 

御身の勤行に殉ずるにあらず  

ひとえにわたくしのかなしみに殉ずるにあれば 

道行のえにしはまぼろしふかくして 

一期の闇のなかなりし 

ひともわれもいのちの真際 かくばかりかなしきゆえに  

煙立つ雪炎の海を行くごとくなれば  

われより深く死なんとする鳥の眸(め)に逢えるなり 

はたまたその海の割るるときあらわれて 

地(つち)の低きところを這う虫に逢えるなり 

この虫の死にざまに添わんとするときようやくにして 

われもまたにんげんのいちいんなりしや  

かかるいのちのごとくなればこの世とはわが世のみにて我も御身も 

ひとりのきわみの世を相果てるべく なつかしきかな 

今ひとたびにんげんに生まるるべしや 生類の都はいずくなりや

わが祖(おや)は草の親 四季の風を司り 

魚(うお)の祭りを祀りたまえども  

生類の邑(むら)はすでになし 

かりそめならず 今生の刻(こく)をゆくに 

わがまみふかき雪なりしかな